数々のドラマを生み出してきた「遥かなるオーガスタ」。
アーノルド・パーマーと“帝王”ニクラウスの死闘。
“新帝王”トム・ワトソンの戴冠。
そして、若きタイガー・ウッズの他を寄せ付けぬ独り旅。
しかし、私が最も感銘を受け、今もなお心に深い余韻を残すのは1999年の大会である。
それは、ホセ・マリア・オラサバルとグレッグ・ノーマンが演じた静かなる名勝負だった。
それぞれの舞台
80年代半ば~90年代にかけて、世界で最も有名なゴルファーの一人がグレッグ・ノーマンである。
“ホワイトシャーク”の異名を持つ、このオーストラリア人はこれまで何度もメジャーの優勝争いに加わってきた。
しかし、勝負所で心の弱さを克服できず、メジャー4大会では全英オープンを2度制するに留まっている。
ノーマンが絡んだ優勝争いの数からすれば、とても信じることはできない。
マスターズでも優勝争いは当然として、プレーオフでも敗れるなど辛酸を舐め続けていた。
中でも、96年の大会はノーマンの悲劇として、今でも語り草になっている。
その大会のノーマンは絶好調であり、3日目を終えて2位に6打差をつける独走態勢を築いていた。
さすがに、今度ばかりはノーマンがグリーンジャケットに袖を通すものだと、多くの人々が確信していたことだろう。
しかし、最終日になると、前日までのプレーが嘘のようにミスショットを続けるノーマン。
誰の目にもプレッシャーに押し潰され、痺れていることは明白であった。
そして、その日は78と大叩きし、終わってみれば優勝したファルドに逆に5打差を付けられてしまう。
この時ほど、観ていて辛いマスターズは無かった。
一方、ホセ・マリア・オラサバルはスペイン出身のゴルファーであり、派手さは無いが堅実なプレースタイルを身上とするヨーロッパの強豪である。
すでに、マスターズは94年に28歳の若さで制していた。
しかし、オラサバルもまた、ノーマンに悲劇が襲っていたまさにその時、苦難に喘いでいた。
始まりは、95年のシーズン後半だった。
歩行が困難になり、日常生活すらままならない。
ついには、寝たきり状態になってしまい、翌96年は全くゴルフクラブを握ることができなくなってしまった。
なかなか原因が分からずにいた中、ついにリウマチ性多発関節炎だと診断される。
マスターズを制覇し、年齢的にも脂がのり切ってきた時に起きた受難。
その間、オラサバルは人生に希望を見出すことができず、ブクブクと太り、髭も生やし放題の姿で絶望の淵に沈んでいた。
そんな状態の中、自宅でマスターズを観戦していた時にノーマンの悲劇が目に飛び込んできた。
実は、ノーマンとオラサバルは国籍こそ違えど、親友同士であったのだ。
オラサバルは後述する。
「マスターズ最終日、オーガスタの地で苦悶の表情を浮かべるノーマンの姿は、とても見ていられなかった」
マスターズで惨敗した者と病魔に苦しむ者。
種類は異なるとはいえ、同じ人生の苦難に遭遇した者として、そして親友として、ふたりは互いを思いやっていた。
こうしたこともあり、心に痛手を負ったノーマンに対し、オラサバルは手紙を認めもしたという。
翌97年、病を克服し、ツアーに復帰したホセ・マリア・オラサバルは2年後、オーガスタに戻り優勝争いを繰り広げていた。
その相手が、96年の悲劇から同じくカムバックを遂げたグレッグ・ノーマンなのである。
最高の舞台で、親友同士がグリーンジャケットを懸けてゴルフを出来る喜びは、いかほどのものがあっただろう。
しかし、勝者は常に一人であり、必ず敗者が存在する。
この理を前にして、胸中に複雑な思いを抱いていたことも確かだろう。
信頼と敬意に満ちた激闘
最終日、序盤で3連続ボギーを喫するなど苦しい展開の中、徐々に盛り返してきたオラサバルは、世界で最も難しいpar3の12番ホールで秀逸なるバンカーショットでリカバリーし単独首位に立つ。
勝負所の13番ホールを迎え、テイ―グラウンドに立つ両雄。
アーメンコーナーの最終ホールではあるがpar5ということもあり、ここは是が非でもバーディが欲しいところである。
しかし、かつて中島常幸が13打を叩くなど、少しのミスが命取りとなる油断ならない顔も併せ持つ。
ここまで6アンダーの首位オラサバルを、2位ノーマンが5アンダーで追っていた。
オラサバルはテイ―ショットをミスして、第3打でようやくグリーンを捉える。
一方、ノーマンは絶好のポジションにテイ―ショットを打ち、2打目でグリーンを狙っていた。
アイアンを振り抜いたショットは、ピンをデッドで攻める会心の一打となる。
戦いの場所をグリーンに移し、ガラスのグリーンと形容されるオーガスタの芝目を慎重に読み、イーグルパットに臨むノーマン。
“ホワイトシャーク”と呼ばれ、世界のゴルフシーンを席巻した男も、いつしか44歳になっていた。
ラインを睨む鋭い眼光を湛えるその顔には、深い年輪が刻み込まれている。
ただでさえ速いグリーンだというのに下りのパットを残し、距離もかなりあった。
そして、一番厄介なのが、うねりや傾斜による起伏に富んだ複雑なアンジュレーションなのだ。
この難しいラインを読み切り、パターから柔らかいタッチで弾かれたボールは、ゆっくりとフックラインの軌道を描きながらカップに吸い込まれていった。
この日1番の大歓声が鳴り響くオーガスタ。
その凄まじい轟音は、他のホールでプレーする選手にも地響きのように届いていた。
イーグルパットを決めたノーマンは一気に2ストローク伸ばし、7アンダーと表示された横に“Leader”の文字が躍る。
こうなると、俄然オラサバルにはプレッシャーがのしかかる。
オラサバルのバーディパットも、まだワンピンを優に超える距離を残していた。
ざっと見た感じ、5m前後はあるだろうか。
オラサバルはアドレスに入り、バーディトライのパットを放つ。
すると、ど真ん中からカップに捩じ込んだではないか!
私は、ホセ・マリア・オラサバルという男に驚愕した。
未だマスターズで1度も優勝したことのないノーマンに、グリーンを囲む全パトロンが声援を送っていた。
いわば、オラサバルは完全に敵役だったのである。
そうした背景で、ノーマンがスーパーショットを連発し、イーグルを決め一気に首位に立ったのだ。
どれほどの熱気が13番ホールのグリーン上を覆っていたのか、お分かりいただけるだろう。
その興奮冷めやらぬ中、難しい距離のパットを、オラサバルは身じろぎ一つせず決めたのである。
ほとんどの場合、先に長いパットを決められると、イージーパットでもない限り後から打つ選手は外してしまう。
にもかかわらず、グリーンジャケットが懸かった最終日の最終組、それも優勝争いの真っ只中で入れ返したのである。
それも、誰ひとり応援する者がいない四面楚歌の状況で…。
ホセ・マリア・オラサバルの精神力には脱帽するしかない。
きっと18ヶ月もの間、ゴルフを出来なかった苦しみが、このスペイン人を一回りも二回りも大きくさせたのだろう。
それは、バーディパットを決めた直後のしぐさにも表れていた。
なんと、オラサバルはノーマンに向かって指をさしたのだ。
ノーマンも、同じくライバルに向かって指をさす。
このシーンに、私は深い感銘を覚えずにはいられなかった。
通常、人に向かって指をさすことは失礼な行為に当たる。
しかし、この両者の表情を見れば、相手を侮蔑する意思など微塵もないことは明らかである。
バーディパットを入れ返した直後も、浮かれることなく引き締まったままのオラサバルの表情。
そして、その顔にはノーマンの素晴らしいゴルフを湛える敬意が滲み出ていた。
このしぐさは、まさに「互いのファインプレー」を称える気持ちの表れであった。
ノーマンもまた、オラサバルの卓越した技術と、何よりも心の強さに感嘆したのだろう。
だからこそ、オラサバルと時を同じくして、親友へ向けて笑みを送りながら指をさしたのだ。
きっとそこには、両者が苦しんだここ数年の出来事に対し、言葉には出さずともお互いに心の片隅に留めていた思いがあったのだろう。
その心象風景が、あの場面に凝縮したからこそ、あれほどまでに深い余韻を残したに違いない。
ライバルにして親友である二人の戦いを見るにつけ、これぞまさしく「ゴルフ賛歌」と呼ぶべきものだと感じた。
マスターズのテーマソング「遥かなるオーガスタ」に込められた精神を具現化したようなシーンを目の当たりにし、改めて「ゴルフの祭典」の醍醐味を堪能することができたのである。
まとめ
終盤、ノーマンは惜しいパットをカップに蹴られるなど、スコアを落としていく。
最終ホールを残し、首位オラサバルとは3ストロークの差がついていた。
オナ―のオラサバルが、テイ―グラウンドに立ち第1打を打つべくアドレスに入る。
ここまで終始一貫して表情を崩さなかったように、最後のテイ―ショットでも精悍な表情のオラサバル。
そのショットがフェアウエイを捉えた瞬間、ほぼ2度目の優勝が決まった。
私はその直後、親友同士の戦いにふさわしいフィナーレを目撃し、ホセ・マリア・オラサバルの人柄に涙した。
第2打を先に打ち終えたオラサバルは、フェアウエイ上でノーマンのショットを見つめている。
バンカーから2打目を打ち終えたノーマンは、フェアウエイに戻りグリーンへと向かった。
かたや、オラサバルはじっと俯き、何かを待っているかのような佇まいを見せている。
すると、ノーマンがオラサバルの近くを通った瞬間、並びかけるように歩き出す。
オーガスタの丘をふたりで進み、ギャラリーの声援に帽子を取って感謝する。
丘を越えパトロン達に近づくにつれ、オラサバルはスッとノーマンの後ろに下がった。
素晴らしい光景だった。
敗者を待たずに、勝者が先にグリーンへと歩を進めても全く問題ない場面である。
にもかかわらず、オラサバルはノーマンを待ったのだ。
それにしても、両雄が肩を並べて、オーガスタを歩く姿は本当に美しいシーンだった。
96年とは違い、グレッグ・ノーマンの表情に全く悔いのない、全てを出し切った清々しさを湛えていたのも印象的だった。
そして、何といってもホセ・マリア・オラサバルである。
ギャラリー達がスタンディングオベーションで迎えるグリーンに、自分ではなくノーマンを先に行かせたのだ。
パトロンが待ち構えるグリーンには、まず勝者が大歓声を浴びながら向かうのが常である。
ある意味、勝者の醍醐味、特権であろう。
それを、オラサバルはあまりにも自然な振る舞いで、さりげなくノーマンに花道を譲ったのである。
かつて悲劇の主人公となった親友の悲願を、またしても自らの手で打ち砕かねばならぬという残酷な現実。
長きに渡り、ゴルフから離れざるを得なかったオラサバルならば、誰よりもその辛さが理解できたはずだ。
だが、一方でマスターズという最高の舞台で、好敵手と全力で戦えた満足感と感謝の念。
そして、グレッグ・ノーマンという偉大なるゴルファーに対する敬意。
こうした様々な思いが、謙譲の精神を体現したかのようなオラサバルの行動につながったのではないか。
このシーンを観て、私はしみじみと感じ入る。
ホセ・マリア・オラサバルこそ、“敗者の影を背負う”チャンピオンだと。
ついに、大団円を迎える「遥かなるオーガスタ」。
ウイニングパットを沈めると、オラサバルは噛みしめるように拳を固く握り締め、小さくガッツポーズを取る。
万感の思いが詰まった、静かだが心に残るシーンであった。
最後までノーマンの心情に思いを馳せ、派手なパフォーマンスに身を投じなかったオラサバルの所作は見事としか言いようがない。
まずは4日間、共に戦ったキャディと喜びを分かち合う。
そして、“グッドルーザー”グレッグ・ノーマンのもとに歩み寄る。
ノーマンは帽子を取って出迎える。
西日が射す中、固く抱擁を交わすふたり。
そこには、勝者も敗者もなく、ただ素晴らしきゴルファー達がいるだけだった。