パリ五輪柔道5日目、女子70㎏級では新添左季が出場するも、敗者復活戦で敗退した。
そして、男子90㎏級では“令和の三四郎”こと村尾三四郎が決勝で惜敗し、悔しい銀メダルとなった。
令和の三四郎
我々オールドファンからすると、柔道の代表的なヒーローの名前といえば“姿三四郎”ではないか。
その名に違わぬ柔道家が令和の世に現れた。
そう!村尾三四郎である。
日本人の父とアメリカ人の母を持つハーフの彼だが、まごうことなき“武士(もののふ)”の魂を有していると感じた。
敗北の痛みが癒えぬ中、インタビューを受ける村尾三四郎。
あまりにも悔しい敗戦に、時折こみ上げてくるモノを抑えきれない。
だが、その度に後ろを向き、カメラの前では決して涙を見せない姿が胸を打つ。
真の武道家とは、かくあるべきと思い知る。
そんな「令和の三四郎」は、何と言っても柔道そのものが素晴らしかった。
心技体を極めた阿部一二三、コツコツと積み上げたものを愚直なまでに全うする永瀬貴規にも感服した。
しかし、それ以上に村尾三四郎の柔道は私の心を鷲掴みにして離さなかった。
両手でしっかりと釣り手と引き手を引き、自分の形になったら迷わず技を仕掛けていく。
そして、大内刈り・大外刈り・内股など間断なく放たれる、切れ味抜群の足技は爽快ささえ感じさせるものだった。
試合中の精悍な表情もまた良い。
日本柔道の伝統である美しい柔道を体現する様に、私は改めて柔道という競技の素晴らしさを教わった気がした。
それに比べ、本大会は本当に残念なジャッジが後を絶たない。
掛け逃げの有無や指導のタイミング等、審判というか試合ごとに基準が曖昧すぎる。
決勝戦の村尾の内股も、そのひとつといえるだろう。
そもそも地元フランス選手と対戦した準決勝でも、村尾の有効な技がノーポイントとされた判定があった。
だが、我々が真に公平なジャッジを求めるならば、村尾の敗退も受け入れなければならないのかもしれない。
その証左となるのが、全日本男子監督・鈴木桂治の言葉である。
「あれは今大会に関しては(ポイントとして)取っていない印象。ここまでの流れを見たら、そういう試合がいくつかあり、納得しています。映像で確認すると、尻もちをつきながら片手しかついていない。両手をついていたらポイントなんですが」
決勝の結果が一番無念なのは村尾三四郎本人に違いない。
そして次に悔しいのが、村尾の汗と努力を間近で見ていた関係者だろう。
その総大将の鈴木桂治が、こう語っているのである。
我々外野がこれ以上、とやかく言うことはできない。
それにしても、決勝の相手ベカウリはタフで勝負強かった。
同じジョージア出身のモサクリシビリとの準決勝は、これぞパワー柔道という距離を詰めての接近戦を制し、相手をねじ伏せた。
決勝戦、村尾に技ありを先に取られながらも、焦ることなく自分の柔道を展開しポイントを奪い返す精神力。
そして試合終了間際、再三にわたるピンチを凌ぎ、村尾の足技を返し畳に叩きつけた。
なんという体幹と勝負強さなのだろう。
さすが、同階級オリンピック連覇の王者である。
まだ柔道競技は終わっていないが、この決勝戦は今大会のベストバウトだと感じた。
無念が願いを光らせる
村尾三四郎の敗戦に思ったことがある。
それは、私が好きな言葉である。
「無念が願いを光らせる」
人生は上手くいかないことばかり、理不尽なことばかりに見舞われる。
だが、その無念の思いがあればこそ、人は願いを叶えたとき、喜びが何倍にもなるのだろう。
次のロス大会では是非、村尾三四郎には表彰台の一番高いところで金メダリストとして輝く姿を見せてほしい。
まとめ
試合後、解説の大野将平はかく語る。
「世界の猛者相手に正しく組んで技につなげていく。こういった理想的な柔道をいつも、今日も展開してくれました。現在、捨て身技の巴投げや隅落返しといった流れを切るような、逃げるような技が多くみられています。そんな中、永瀬選手とともに村尾選手はそういった技を使わずに組手の捌き、体の捌きでしっかり二つ持って投げ技につなげる古き良き日本柔道を体現してくれたと思います」
敗戦を受け入れられない私の心に、この言葉が沁み入った。
柔道の質、内容は村尾三四郎が秀でていたことを、大野将平が言語化してくれたからである。
所詮、勝負は時の運。
そんなことを感じさせる男子90㎏級の決勝戦であった。