20世紀後半 男子バレーボール世界の勢力図② 1989~1996年編





1988年のソウル五輪を節目とし、長かったソ連とアメリカの時代が終焉を迎えた。

代わりに、世界の男子バレー界で台頭してきたのがイタリアとキューバである。

それはセッター対角にポジションを取るスーパーエース(オポジット)がチームの浮沈を握る、新しい時代の幕開けであった。

1. スーパーエース

イタリアとキューバが世界のトップに立った最大の要因は、世界的スーパーエースの存在である。
イタリアは“鼻のゾルジ”の異名を持つ201㎝のアンドレア・ゾルジが全盛期を迎え、最高到達点3m61㎝の打点から高い決定力を誇るスパイクを叩き込んだ。

また、キューバはデスパイネが前衛だけでなくバックからも縦横無尽に打ちまくり、チームを牽引した。
ゾルジが2mを超える高身長だったの対しデスパイネは190台前半にもかかわらず、最高到達点3m58㎝だったのだから、そのジャンプ力たるや驚異的である。
キューバは女子のミレヤ・ルイスもだが、なんという超人ならぬ鳥人の宝庫なのだろう。

国際大会でイタリアとキューバが相まみえると、勝負処での両エースの打ち合いは実に見応え十分であった。
両国が世界の覇権を争う以前からバックアタックはもちろんあったが、十二分にマークされながらも敢えてバックに上げるようになったのはゾルジとデスパイネが登場してからのような気がする。

2. 1992年バルセロナ五輪

1992年、バルセロナの地でオリンピックが開催される。
私は同大会の優勝候補筆頭はイタリア、対抗にキューバという何の変哲もない予想を立てていた。

だが、蓋を開けてみると波乱含みの勝ち上がりとなっていく。
“ガリバー軍団”オランダが高さを活かし、台風の目となったのだ。
準々決勝でフルセットの末イタリアを破ると勢いに乗り、続く準決勝ではキューバをストレートで圧倒する。
次のアトランタ大会もだが、当時のオランダはオリンピックになると覚醒した。

このままオランダの初優勝かと思われたが、待ったをかけたのがブラジルであった。
「天才セッター」リマに操られたアタッカー陣は、ありとあらゆる場所からスパイクを打ち込んだ。
そんな中、私が最も印象に残ったのは弱冠20歳のネグロンである。
20歳とは思えぬ風貌のネグロンは最高到達点3m60㎝の打点から、恐るべき高さとパワーで敵陣を粉砕した。
サーブでレシーブが乱されても、2段トスをものともせず強烈無比なスパイクを放つネグロンは、まさに世界最強のアタッカーだった。

解説者が「ネグロンは完全にゾルジやデスパイネと並ぶ、世界のアタッカーとなった」と言っていたが、私は10代の頃からネグロンに分があると思っていただけに、ようやく認められたかという気持ちを抱く。

何はともあれ、リマ率いる“魅惑のサンババレー”が世界の頂点に立つ大会となった。

3. 1996年アトランタ五輪

アトランタ五輪決勝も、前回の世界選手権決勝と同一カードとなる。
そのチームとはイタリアとオランダである。

前回のオリンピックではオランダに不覚を取ったが、その後はワールドカップ優勝に加え世界選手権も連覇を果たすなど、イタリアは世界最強の座に君臨していた。
ゾルジの後継者として世界的スーパースターに成長したジャーニも充実しており、イタリアの金メダルが濃厚と思われた。

個人的には今度こそイタリアに五輪初戴冠を果たして欲しい気持ちはあるものの、女性インタビュアーに「誕生日には薔薇の花束とラザニアがあれば十分さ」とプレイボーイぶりを発揮するジャーニに鳥肌が立ったこともあり、ややオランダを応援する。
とはいえ、世界選手権決勝と今大会の予選でも苦杯を舐めたオランダには厳しい戦いが予想されるのだが…。

試合が始まると、予想に反しオランダが絶好調である。
世界No.1センタープレイヤー・ファンデホールや、レフトにポジションを取るズベルフェルが効果的な攻撃を決めていく。
だが、何といっても圧巻だったのはスーパーエースを担うファンデミューレンだった。
私が観た中で世界的アタッカーといえば、前述したゾルジ、デスパイネ、ネグロンが挙げられる。
ファンデミューレンも良い選手だが、彼らと比べると少し落ちる印象である。

ところがどうだ。
この日の彼は遜色ないどころか、彼らを凌駕する活躍を見せていた。
イタリアの強烈なジャンプサーブに乱されながらも、2段トスをことごとく決めるファンデミューレンの頼もしさ!

一方、ジャーニはオランダの高いブロックに度々捕まってしまう。
だが、上背こそないもののジャンプ力を生かしたパピの切れ味鋭いスパイクがコートを切り裂く。
そして、202㎝のミドルブロッカー・ガルディー二の存在が大きい。
30歳を超えてなおプレーぶりは健在で、世界一のリードブロックがチームの危機を救った。
さらに、老獪なセンターからのクイックは、さすがのオランダも止めきれない。
そうこうするうちに、ジャーニのスパイクも決まり出し、王者イタリアが盛り返す。

いつ果てるともない両チームの白熱の攻防を、私は固唾を呑んで見守った。
そして、ついにフルセットにもつれ込んだ死闘は最期まで獅子奮迅の働きを見せたファンデミューレンを擁するオランダに凱歌が上がる。

この試合は地上波では放送されず、衛星放送で観戦したことを思い出す。
バレーボールとしては自分史上疑いようのない、最もエキサイティングで感銘を受けた試合である。
なぜ、こんな素晴らしい戦いを地上波で放送しないのか…。
そして、この感動を伝えることこそが、スポーツジャーナリズムの使命なのではないか…。
そんな思いが去来する名勝負であった。

敗れたとはいえイタリアも王者の意地を見せ、ジャーニだけのチームではないことを満天下に知らしめた。
勝者のオランダはこの大一番で素晴らしいパフォーマンスを発揮し、特にファンデミューレンは生涯最高の出来だった。

そんな両チームには只々感謝したい。

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