20世紀後半 男子バレーボール世界の勢力図① 1980~1988年編





私は小学校入学前後から、バレーボール観戦を趣味としていた(最近はあまり見ていない)。
ソ連が当世界最強として君臨していた時代から1996年アトランタ五輪頃までが、最も熱いまなざしを送っていた時期である。
つまり20世紀後半ということになる。

今回、その時期に世界をリードしたチームを掘り下げてみようと一念発起した。
まずは1980年代について、個人的な思い出とともに振り返る。

1. ソ連

1970年代後半〜1980年代前半の絶対王者といえば、ロシアの前身となるソビエト連邦共和国である。
私は前述したように1980年前後からバレーボールを観戦し始めたが、当時ソ連は揺るぎなき一強時代を独走していた。

特にサビン(2m)、ロオル(1m98cm)、シュクリーヒン(2m2cm)の平均身長2mトリオの3枚ブロックは脅威以外のなにものでもなかった。
なにしろ、高さだけでなく隙のないブロックは死角が見当たらない。
そこにエース・パンチェンコのアタックが加わり、敵のディフェンスを切り裂いた。

そんな世界最強チームの中にあって、最も印象深いのは前述のアレクサンドロ・サビンとビャチェスラフ・ザイツェフの名コンビである。
当時、20代前半のサビンは若くして世界No.1のセンタープレイヤーとなっていた。
一方、20代後半の円熟期を迎えつつあったザイツェフは、これまた世界No.1の名セッターとしてチームを牽引する存在であった。

この名コンビが、まだ年端もいかぬ少年だった私の脳裏に刻み込まれたのは幾つか理由がある。
ザイツェフの正確なトスを無慈悲なまでの高さとスピードで、強烈なスパイクを打ち込むサビンの姿に世界のバレーを体感したこともあるだろう。
だが、それ以上にプレー以外でのやり取りが印象に残っている。

あれは、日ソ対抗バレーでのことだった。
口髭を蓄えたザイツェフはベテランの雰囲気を湛えていたが、年下のはずのサビンも20代前半とは思えぬほど貫禄十分である。
プレーの合間にネット前でやり取りを交わすふたり。
すると、サビンはこともあろうに、先輩のお尻をポンポンと叩いているではないか!
普通、こういうことは先輩が後輩にやるものと相場が決まっている。
私は驚きつつも老成したサビンの佇まいと相まって、不思議と違和感を覚えなかった。

今でも個人的には、世界最強の代名詞はこの時代のソ連だと思っている。

2. アメリカ

1984年ロサンゼルス五輪を機に台頭してきたのがアメリカ合衆国である。
それまでは、さほど強豪国としての認識を抱いていなかったアメリカが同大会で金メダルに輝いた。
しかし、決勝戦ではブラジルに完勝したものの、予選ラウンドではそのブラジルにストレート負けを喫するなど、まだ世界最強とは言い難い。
何よりも東西冷戦の真っ只中ということもあり、ソ連が大会をボイコットしていたことによる漁夫の利といった感じが強かった。

しかし、ソ連最強論者の私を嘲笑うかのように、アメリカは世界最強チームへと快進撃を開始する。
ロス五輪後、ワールドカップ、世界選手権と次々に世界の主要な大会を制覇していった。
そして、1988年ソウル五輪でもソ連を破り、五輪連覇の偉業を達成する。

アメリカはデータを活用し、相手チームのトスを見てからジャンプするリードブロックを開発するなど、戦術の進化に成功する。
さらに、セッター対角にスーパーエース(オポジット)を置いた先駆けでもあった。

チームの中心となったのは、センタープレイヤーのバックとティモンズ、初代スーパーエース・パワーズ、攻守に隙の無いストブルトリックなどである。
彼らはみなイケメンであり、海軍将校を思わせる髪型と精悍な表情、そしてがっしりとした体格に日本の女性ファンは黄色い歓声をあげていた。

中でも、柱石としてチームを支えたのが“Mr.バレーボール”カーチ・キライである。
身長こそ190㎝しかないキライはエースアタッカーとしては小柄だが、丸太のような腕からコースを打ち分ける強烈なスパイクに加え、守備面でもリベロ顔負けの好守を見せていた。
とりわけ、そのキャプテンシーが素晴らしい。
厳しい表情を崩さないキライはチームをピリッとさせ、大男を前にしても屈することなき闘志はチームを勇気づけた。

まだ若かった私は当時、キライの価値を真の意味で理解していなかった。
だが、今なら分かる。
キライあってこそのアメリカであり、彼の存在なくして男子バレー界の統一は叶わなかったことだろう。

3. ソウル五輪決勝

1980年代の新旧・王者による集大成、それが1988年に開催されたソウル五輪決勝といえるだろう。
もちろん、そのチームとはアメリカとソ連である。

試合序盤は、アントーノフのサウスパークから繰り出すスパイクなど、高さに勝るソ連が優勢に進める。
しかし、徐々にアメリカが真価を発揮する。
アメリカは組織的なブロックに加え、多彩な攻撃陣も擁していたが、驚異的だったのはディフェンス面にある。
とにかくボールがコートに落ちないのだ。

前半こそソ連の攻撃が決まっていたものの、少しずつ慣れていったアメリカは拾い始めていく。
何度、強烈なスパイクを叩き込んでも返ってくるボールに、ソ連の世界的アタッカーも焦りを隠せない。
その焦燥も手伝ってより鋭角に打とうとするあまり、バックやティモンズのブロックの餌食になっていく。
今度はブロックを避け、厳しいコースを狙うため、スパイクがアウトになってしまう。

私には攻撃力ではソ連の方が上回っていたように感じたが、如何せんアメリカの世界最高の守備力が凄すぎた。
例えるならば、ハードパンチを雨あられのように降らせても、決して倒れぬボクサーのようである。
アメリカはソ連の強烈な攻撃にチャンスボールを返すのがやっとだが、いつしかチャンスのはずのソ連が追い込まれているではないか。

そして、キライやバックの攻撃が冴え始め、パワーズの後釜としてスーパーエースの座に就いたティモンズが豪快なバックアタックを決める。
こうして、宿敵ソ連をセットカウント3-1で破ったアメリカが有終の美を飾った。

ソ連の敗因はサビンが30歳の大台に乗り、全盛期に比べ翳りが見えたことが挙げられる。
ただ、それ以上にアメリカチームの団結力、組織力が純粋に上回ったといえるだろう。

とにもかくにも、この大会は私にとって一つの時代の節目となったことだけは確かである。

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