モハメッド・アリとライバル達① ソニー・リストン ~闇から現れ 闇に消えたボクサー~





みなさんは、ソニー・リストンというボクサーをご存知だろうか。
1960年代前半、世界最強のボクサーといわれながらも、モハメッド・アリの引き立て役に回った悲運のチャンピオンである。

悲惨な境遇に生まれ、虐待と暴力の中に育ち、闇に生き、闇から現れ、闇に消えていった男。
そんな悲運のボクサー、ソニー・リストンを紹介する。

ソニー・リストンとは

ソニー・リストンは1932年5月8日にアメリカで生まれたプロボクサーである。
実は、このリストン。
正確な出生記録が残されておらず、1930年生まれという説もある。

出自からみても分かるように、リストンの子ども時代は悲惨を極めた。
生家は貧しい小作農であり、25人兄弟の一人として育つ。
リストンは当時のことを振り返る。

「靴も服も食べ物もなかった。あるのは暴力を振るう父親と、彼に怯える無力な母親だけだった」

リストンの背中には、虐待による傷跡がはっきりと見て取れた。
父親から逃れるため、命からがら家を出るリストン。
だが、学校にも行かせてもらえず、満足な教育も受けなかった少年は読み書きができなかったため、まともな仕事が見つからない。
こうしてお決まりのように、ソニー・リストンは闇の世界に堕ちていき、度重なる凶悪犯罪に身を染めていく。

そんなリストンに転機が訪れた。
刑務所に服役中にボクシングと出会ったのである。
刑務所を出所し、プロデビューを果たしたときには既に20代になっていたが、リストンの天稟の前にはそんなことは些細なことだった。

恐るべきボクサー

リストンはボクシングをするために生まれてきたような男だった。
特段トレーニングをせずともナチュラルに身長185cm体重97kgという、筋骨隆々とした体躯を誇っていた。

そして、特筆すべきはリーチと拳のサイズである。
185cmの身長に対して、リーチは213cmもあったのだ。
しかも、拳囲(拳まわりのサイズ)は38cmにも及び、これは一般的な成人男性の2倍近くもある。
“ビッグベアー”といわれた筋肉の鎧から長いリーチで繰り出すパンチは、巨大な石つぶての如き拳をもってして敵の肉体を破壊した。

実は、リストンの全盛期はフロイド・パターソンを一蹴し、アリと戦った1960年代前半ではなく、1950年代後半といわれている。
トーマス・“ヒットマン”ハーンズを育てたエマニエル・スチュアートも「彼の強さは信じられない」と脱帽するほどだった。

リストンの一般的なイメージとして動きはさほど速くないものの、ヘビー級史上に残るハードパンチャーといったところではないだろうか。
しかし、全盛期のリストンは豊かなスピードと卓越したディフェンス技術で相手の攻勢をかわし、鋭い左のジャブで主導権を握っていく。
しかも、そのリードブローはジャブと呼ぶにはあまりにも無慈悲な破壊力であった。
なにしろ100kg前後のヘビー級の猛者たちが、ジャブ一発で吹っ飛ばされてしまうのだ。
さらに左右のフィニッシュブローを叩き込んでくるのだから、相手からしたらたまらない。

また、リストンは試合前から対戦相手を圧倒した。
とはいえ、モハメド・アリのようにトラッシュトークで捲し立てるわけではない。
少年時代から裏社会に生き、修羅場を潜り抜けてきたリストンは、恐ろしいまでの闇の空気を纏っていた。
その威圧感に、化け物揃いのヘビー級のボクサー達が恐怖に震えるのだ。

考えてみてほしい。
元々、黒人ボクサーの多くは貧困と暴力の中をサバイブしてきた者達であり、肉体的にも精神面でも屈強である。
そんな拳一つでのし上がってきたタフガイが、リストンの風貌とその身に纏う空気感に怯えてしまうのである。

まさにソニー・リストンは“闇から現れた”規格外のボクサーだった。

栄光と転落

プロデビュー後、圧倒的な強さでリングを席巻したリストンたが、なかなかビッグマッチにはたどり着けなかった。
それは、闇の世界との腐れ縁が切れなかったからである。
現在は定かではないが、リストンがリングに上がっていた当時、プロボクシングの興行ではマフィアが跋扈していた。
それに加え、まともなボクシング関係者で山のような逮捕歴を重ねたリストンをプロモートする者などおらず、いるとすれば金目当てのマフィアだけだった。

このような背景も手伝い、リストンはボクシング界から憎まれ忌み嫌われていた。
リストンの初めてのタイトルマッチは、彼が30歳になった1962年まで待たなければならない。
当初はチャンピオンのトレーナーや識者はもとより、アメリカ大統領さえもリストンのタイトルマッチへの参戦に難色を示す。
だが、ただひとり当時のヘビー級王者フロイド・パターソンのみが、リストンの挑戦を受けて立つ意向を表明した。
結果、勇敢なチャンピオンは1ラウンドKO負けを喫し、リベンジマッチでも同じく1ラウンドでマットに沈んだ。
こうして、ソニー・リストンは名実ともにヘビー級の頂点に立った。

チャンピオンに君臨するリストンに挑む若武者が現れる。
モハメッド・アリ(当時の名前はカシアス・クレイ)である。
ローマオリンピックで金メダルを獲得したアリだったが、史上最強のボクサーと畏怖されたリストンの前では役者不足と見なされた。

身長こそ191cmのアリが上回っていたが、リーチ・パンチ力ともにリストンが勝っていた。
対戦前のオッズもリストンが圧倒しており、チャンピオン有利は否めない。

ところが、試合が始まるとヘビー級とは思えぬアリのスピードに、リストンは捕まえ切れない。
結局、リストンは自ら放ったパンチにより肩を負傷し、7ラウンドで棄権する。
だが、アリは王者の座に就いたものの、リストンのパンチをかわし続けたに過ぎなかった。
1年後リベンジマッチが行われ、アリの“ファントムパンチ”により、リストンは1ラウンドでKОされてしまう。リングに横たわるリストンを見下ろすアリの姿は、まさに新しい時代の幕開けを象徴していた。

だが、最初の試合に加え、この試合も八百長疑惑が噂されていた。
本当に、あのパンチで屈強なリストンをリングに沈めることなどできるのか…。
時を経て、リストンは重い口を開く。

「アリはクレイジーだ!ヤツとは関わりたくない。イスラム教徒とは関わりたくないんだ!パンチは全く効いてない」

真相は藪の中だが、イスラム教徒からリストンに殺害予告があったとも言われている。
その後も、リストンはリングに上がり続け連戦連勝を飾るも、ついに檜舞台に立つことはなかった。

まとめ

タイトルマッチを前にし、アリはリストンにトラッシュトークを浴びせ続けた。

「俺は素早い。ヤツはのろまだ。俺は美しい。ヤツは醜い。俺は生まれながらのチャンプだ!」

そんな無礼な若者をリストンは静かに諭した。

「坊や、そういう汚い言葉はお外で言っちゃイケないぜ」

裏世界を知り尽くすリストンの言葉だけに凄味すら感じさせるが、何とも言えぬウィットも漂う。
事実、リストンはリングを降りれば寡黙で温厚な紳士であった。
家族に対しても声を荒らげることもなく優しい態度に終始し、慈善活動にも取り組んだ。
スパーリングパートナーを務めたジョージ・フォアマンも、リストンの人間性に尊敬の念を抱いていたという。

だが、元犯罪者の経歴が、彼の人生に影を射す。
それは決して拭い去れない宿痾だった。
リストンは嘆いていた。

「俺には友がいない」

そして、最期まで闇の世界に翻弄された男は、妻が旅行で不在の折、自宅で不審死を遂げる。
死因はヘロインによる薬物中毒とされたが、マフィアによる犯行ともいわれている。

“闇を生き、闇から現れ、闇に消えたボクサー”ソニー・リストン。
生まれた日も定かではなく、死因もはっきりとは分からずに、ひとり孤独に逝った人生。

最後に、そんな哀しき男の名言を紹介する。

「いつか誰かがボクサーのためのブルースを弾くだろう。スローなギターと優しいトランペット、そしてゴングの音で」


マイノリティーの拳~世界チャンピオンの光と闇~

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