1980年代半ば、“白いサーカス”FISワールドカップの舞台にイタリアの若者が現れた。
その男はインゲマル・ステンマルクと入れ替わるようにピステの主役に駆け上がり、「孤高の絶対王者」とは異なるカリスマ性をもってしてアルペンスキー界を席巻した。
豪放磊落にして誰よりも勝負強く、驚異の爆発力でファンを魅了したアルベルト・トンバの活躍を振り返る。
アルベルト・トンバとは
アルベルト・トンバは、1966年12月19日にイタリアで生まれたアルペンスキーヤーである。
子ども時代から運動神経抜群のトンバは父親の影響もあり、特にスキーに魅せられていく。
1985年FISワールドカップでデビューを果たすと、回転と大回転の技術系種目で長らく活躍し、通算50勝を挙げた。
オリンピックでも1988年カルガリー大会で回転と大回転の2種目で金メダル、1990年アルベールビルでは大回転で金・回転で銀メダルに輝いた。
1994年リレハンメル五輪では調子が上がらない中、ここ一番の勝負強さを見せつけ回転で銀メダルを獲得する。
また、1994/95シーズンにはアルペンスキー最高の栄誉である総合優勝を果たした。
このシーズンのトンバはオフに徹底的にフィジカルと技術を鍛え、開幕から回転で6連勝を飾りロケットスタートを決める。
結局、大回転とあわせ11勝を挙げるなど、圧巻のパフォーマンスで他を寄せ付けぬ快進撃を続けた。
技術系種目のみの参戦で総合優勝を戴冠したのは、1970年代後半にルール変更が行われて以降、ステンマルクをもってしても達成できなかった偉業である。
そして、トンバの特徴は体形にもある。
トンバは20代前半こそ他の選手と同じような体形であったが、その後は明らかに恰幅が良くなった。
彼は身長182㎝だったが、その上背ならば70㎏中盤~80㎏前半が標準的アルペンスキーヤーの体重である。
ところが、トンバは90㎏以上あった。
つまり、圧倒的な筋力量を誇るのだ。
事実、トンバの滑りは「イタリアの爆弾男」の異名通り比類なき迫力を感じさせ、まさに筋肉のパフォーマンスといった趣であった。
そのダイナミックで豪快なシュプールもまた、世界中のファンを魅了したのである。
強烈な個性
トンバは選手としての実力だけでなく、その個性的かつ強烈なキャラクターでもファンを惹きつけた。
陽気で派手好き、今で言う“パリピ”を絵に描いたようなトンバはレース前日でも酒席で騒ぐなど、破天荒な私生活でも知られていた。
誰かが言っていたが、まさに“ワルの魅力”を体現した、これぞイタリア男と風情である。
アルペンスキーヤーの多くが雪山で育つ中、都会育ちで遊び人の雰囲気を醸し出すトンバの言動は一味も二味も違った。
例えば、雪原での様子を見てみよう。
寡黙で実直な他のアルペン選手が黙々と練習に取り組むのに対し、トンバは目ざとく美女を見つけてはナンパを繰り返す。
周囲は呆れつつも、またいつものことかと諦観気味である。
要するに、これがトンバのスタイルなのだろう。
こうした物怖じしない性格も手伝って、トンバは大舞台で勝負強さを見せつけると共に、逆境になればなるほど底力を発揮する。
その圧倒的な爆発力は、まさしく「イタリアの爆弾男」「トンバ・ラ・ボンバ(爆弾トンバ)」という表現がピッタリであった。
そのあまりの人気からファンクラブまで創設され、熱狂的なファンが会場に押し寄せて「フォルツァ!アルベルト!(がんばれ!トンバ!)」と声援を送っていた。
印象に残るリレハンメル五輪
トンバは現役時代、数多の名勝負を演じてきた。
鮮烈なオリンピックデビューを果たしたカルガリー大会や、五輪連覇を成し遂げたアルベールビル大会での雄姿。
そして、総合優勝に輝いた1994/95シーズンなど、それこそ数えあげたらキリがない。
中でも、私が最も印象深いのは1994年リレハンメル五輪である。
この大会のトンバは、オリンピック3連覇がかかる大回転ではコースアウトで失格となり、回転でも調子が上がらなかった。
だが、そんな中でもぎ取った銀メダルは、それまで勝ち獲った金メダルにも劣らぬ輝きを放っていた。
彼にとって大会最後のレースとなる回転種目を迎え、1本目のスタートを切るトンバ。
しかし、いきなり12位と出遅れる。
しかも、トップと1秒8以上もの大差を付けられたことは致命的だった。
そして2本目、トンバは運命のスタートラインに立つ。
これまで数々の逆転劇を見せてきた「爆弾男」に、否が応でも期待がかかる。
だが、暫定首位に立ったものの、本調子とは程遠い滑りでゴールした。
おそらく金メダルはおろか、表彰台に上がることも厳しいタイムである。
ところが、トンバの神通力に魅せられたように、オリンピック史に残る波乱が幕を開ける。
1本目にトンバよりも好タイムを出した選手達が、次々と脱落していく。
中でも、後に回転で種目別王者になるトーマス・シコラや、五輪や世界選手権で多数の金メダルを獲得したチェーティル・アンドレ・オーモットら百戦錬磨の強者までもがコースアウトし消えていった。
とりわけ、オーモットなどはスタート直後に信じられないような形で転倒してしまう。
トンバがトップに立ったことにより、明らかにナーバスになった選手達が金縛りにあっているようだった。
さらに、トンバも認めた次世代のチャンピオン候補ユーレ・コシールも固くなり、トップのタイムを上回れない。
いよいよ残すは、1本目首位のトーマス・スタンガッシンガーただ一人である。
このスタンガッシンガー。
ステディな安定感抜群の滑りが持ち味であり、ましてや1.8秒以上ものマージンもある。
普通ならば、崩れる要素は見当たらない。
だが、会場はただならぬ気配に包まれており、波乱の予感しかしない。
オリンピックの重圧とトンバの無形の力を一身に受け、スタンガッシンガーはスタートする。
やはりというべきか、素人目にも分かるほど、スタンガッシンガーの動きはぎこちない。
みるみるうちに、1本目の貯金を使い果たしていく。
私は目の前で起きている光景に興奮が隠せない。
必死に前へ進むスタンガッシンガーは、なだれ込むようにフィニッシュした。
タイムは…0.15秒差でスタンガッシンガーが逃げ切った。
1本目あれだけの大差にもかかわらず、薄氷を踏む勝利であった。
いや、あの異様な雰囲気の中、ゴールまで滑り切ったスタンガッシンガーは本当に頑張った。
それにしても…アルベルト・トンバとは、何という千両役者であろうか。
オリンピック3大会連続の金メダルこそならなかったが、アルベルト・トンバは圧倒的なカリスマ性と不思議な魔力を満天下に知らしめた。
まとめ
1980年代後半~1990年代半ばにかけ、アルベルト・トンバはアルペンスキー界のスーパースターとして君臨した。
学生時代の日曜深夜、ペット・ショップ・ボーイズの「Go West」のテーマ曲に胸躍らせ、ワールドカップスキーをテレビ観戦していたことが懐かしい。
そこでは必ず男子回転が放送され、不動の主役としてピステを滑走していたのがトンバだった。
「イタリアの爆弾男」アルベルト・トンバ。
名選手は数あれど、「トンバ・ラ・ボンバ」の滑りほどファンを熱狂させたものはない。