テニスがオリンピック競技として、64年ぶりに復活した1988年ソウル五輪。
その記念すべき大会でオリンピックチャンピオンに輝いたのが、「ビッグキャット」ことミロスラフ・メシールである。
稀代のテクニシヤンにしてユニークな人格者、ミロスラフ・メシールを紹介する。
ミロスラフ・メシールとは
ミロスラフ・メシールは1964年5月19日に生まれた、チェコソロバキア出身のテニス選手である。
母国語の発音はメチージュやメチルジュに近いそうだが、“Mecir”という表記と個人的な思い入れも手伝って、本稿ではメシールの呼称で統一する。
実績としては前述したようにオリンピックでの金メダルに加え、1986全米オープンと1989全豪オープンで準優勝している。
メシールはマッケンローを彷彿とさせる緩いテンションのガットで、自由自在なまでにコースを打ち分ける。
そのユニークなプレースタイルと繊細なタッチは、当時数多いたスタープレイヤーの中でも群を抜いて異彩を放っていた。
スウェーデンキラー
1980年代後半の男子テニス界は、「雷帝」イワン・レンドルが支配していた。
そんなレンドルの牙城に迫ったのがボリス・ベッカーとともに、スウェーデン出身のマッツ・ビランデルとステファン・エドバーグだった。
これらスウェーデン勢の前に立ちはだかったのが、何を隠そうメシールなのである。
1988年、グランドスラムでトリプルクラウンを達成したビランデル。
そんな昇竜の男に唯一グランドスラムで土を付けたのが、ウィンブルドンで対戦したメシールだ。
しかも、スコアは6-3、6-1、6-3と、ほとんど何もさせずに圧勝する。
その他、全米オープンでも破るなど、通算7勝4敗と勝ち越した。
また、エドバーグには対戦成績で負け越してはいるものの、エドバーグの得意なウィンブルドンで倒している。
そして、何と言ってもソウル五輪の準決勝で勝ったのが、「スウェーデンキラー」として強烈なインパクトを残した。
レンドルの壁
メシールは1986全米オープンと1989全豪オープンで決勝に進んでいる。
そのいずれもで敗れたのが、同じチェコ出身のイワン・レンドルだ。
レンドルは1980年代最強のストローカーとして君臨し、同じストロークプレーヤーには無類の強さを誇った。
そんなこともあり、さすがのメシールも1勝5敗と圧倒されている。
スウェーデン勢にとって大きな壁がメシールならば、メシールにとって高き頂がイワン・レンドルだった。
一度だけレンドルに勝ったメシールは、その時の心境をこう述べた。
「ビッグワンを釣り上げた」
要するに「大物を釣った」という意味であり、釣り好きのメシールらしいユニークな表現だ。
Mr.ユニーク
テレビ東京放送のワールドビッグテニスで、名解説を務めた渡辺康二 。
彼はメシールのプレースタイルに「とてもユニーク」だと感嘆した。
同じストロークプレーヤーでも、レンドルやアガシのようにハードヒットするわけではない。
だが、緩急自在のテクニックに優れ、長身を生かした懐の深いショットはコースを絞らせない。
特に驚いたのが、メシールのフォアハンドである。
全く力みのないフォームは、まるで試合前のウォーミングアップを思わせた。
テニスに必要なのはパワーだけではないことを体現したプレーヤー、それがミロスラフ・メシールなのである。
そして、彼の特徴は190センチを超える大型選手にもかかわらず、当時のテニス界で一二を争う俊敏な動きにあった。
レンドルやビランデルをも凌駕するフットワークは猫のように素早く、「ビッグキャット」の異名を拝命したのも頷ける。
また、ウィンブルドンでも準決勝まで進出したことが物語るように、ネット際のボレーも器用にこなすなどマルチなプレーも披露した。
ユニークなのはプレースタイルだけにとどまらない。
インタビューでの受け答えも一風変わっている。
ある記者会見で、今の気持ちを尋ねられたメシール。
すると、彼はこう言った。
「まるで新聞記者にインタビューを受けているような気分だ」
おそらく、メシールならではのスウェーデンジョークだろうが、“ただの訳の分からない発言をする男”として終わった…。
その風貌は一見すると、古代ギリシアの哲学者を想起させるというのに。
生まれた時期が2000年遅かったのかもしれない。
“沈黙は金”を逆の意味で体現するメシールに、私はなぜか絶妙のユーモアを感じずにいられなかった。
ミロスラフ・メシールへの敬意
1988ウィンブルドン準決勝、ステファン・エドバーグ戦。
あれはたしか、最終セットの大詰めでエドバーグがピンチを迎えた場面だったと記憶する。
エドバーグの際どいサービスを線審がフォルトとコールした。
ところが、主審がオーバーコールでエドバーグのポイントを宣告する。
ポイントが競った勝負どころでの、メシールにとってはあまりにも痛い判定だった。
結局、そのポイントが分水嶺となり、息を吹き返したエドバーグが勝利する。
深夜未明、固唾を呑んで白熱の攻防を見守っていた私は、ミロスラフ・メシールの高潔なフェアプレー精神に深い感銘を受けていた。
あの場面、普通ならクレームの一つもつけるだろう。
ところが、メシールは何も言わずポーカーフェイスで判定を受け入れた。
世界最高峰のウィンブルドン準決勝であの判定に納得し、紳士的態度を全うできるプレーヤーが他にいるだろうか。
少なくとも、私には記憶がない。
これはほんの一例に過ぎず、メシールは一事が万事いつも素晴らしいコートマナーに終始した。
そして、エドバーグの執念のショットをメシールのボレーがネットにかかり、決着がついた瞬間のことだった。
敗北の痛みをおくびにも出さず、メシールはエドバーグの健闘を賛えるため、ネットを乗り越え自ら握手を求めたのだ。
激戦の余韻もさることながら、メシールのスポーツマンシップに私は感無量の思いが込み上げる。
私はこの偉大なチェコ人に、グランドスラムの栄冠よりも大切なことを教わった。
まとめ
レンドルやアガシ、ベッカーなど、強打を誇る選手が席捲した80年代後半の男子テニス界。
そこに“柔”のタッチを携え、テニスの楽しさと奥深さを堪能させてくれたミロスラフ・メシール。
わすが26歳の若さで、腰痛により引退したことが惜しまれる。
そんな「ビッグキャット」は、母国ソロバキアの代表監督を務めている。
ぜひ、第二第三のメシールの育成を期待したい。