第72期王将戦 藤井聡太vs羽生善治 ~第4局を終えて~





羽生善治永世七冠が藤井聡太王将に挑戦する第72期王将戦(本稿では羽生善治九段ではなく永世七冠を使用)。

2月9、10日に行われた第4局を羽生挑戦者が107手で勝利し、2勝2敗のタイに追いついた。

第5局は2月25、26日に島根県「さんべ荘」で熱戦の火蓋が落とされる。


師匠はつらいよ 藤井聡太のいる日常 (文春e-book)

暗いニュースが多い将棋界

近頃、将棋界では佐藤天彦九段や日浦一郎八段がマスク問題で反則負けを喫するなど、少し残念なニュースが世間を賑わせている。

さらに追い打ちをかけるように、つい先日、王位戦の挑戦者にもなった中田宏樹八段の訃報が飛び込んでくる。
中田八段は穏やかな物腰が印象に残る棋士だった。
棋風は派手さこそないものの居飛車の本格派で、容易に土俵を割らない堅実な指し手は棋士仲間からも評価が高い実力者である。
謹んでご冥福を祈りたい。

そんな中、王将戦を舞台とする世紀の対決は将棋界にとどまらず、世間の注目を集める明るい話題といえるだろう。

ここまでの経過

年明けに開幕した第1局、先手番の藤井王将が勝利する。
最近、対藤井戦でよく耳にする、敗着がよく分からないという将棋であった。

第2局は羽生挑戦者の絶妙手8二金が飛び出し1-1に追いついた。
理外の理ともいえる一手に、ひとり私は“羽生マジック炸裂か!”と歓喜する。

第3局は藤井王将がお得意の藤井曲線で完勝した。
これで今期、藤井王将は先手番25勝1敗というのだから、手が付けられない。

そして、第4局を迎えた。

恐るべき藤井聡太五冠

今さら私が語るまでもないが、げに恐ろしきは藤井聡太五冠である。

14歳でデビューすると、いきなり29連勝の新記録を樹立する。
17歳11ヶ月で初タイトルを獲得し、弱冠二十歳で11期に到達した。
しかも、ここまでタイトル戦で敗退知らずに加え、番勝負で2敗したのも今期竜王戦が初である。
個人的には七番勝負で2勝した広瀬章人八段に、特別賞を与えて欲しいものである。

ふと、気になって調べたことがある。
それは藤井五冠のデビュー以来の勝率だ。
やはりというべきか、全ての年度で年間勝率8割以上を達成していた。
下位の棋士でも7割をマークするのは至難の業にもかかわらず、ここ数年タイトル戦に登場しながら8割を超えるなど意味が分からない。
なにしろ圧倒的なタイトル戦登場回数を誇り、対戦相手のほとんどが渡辺名人、永瀬王座、豊島九段という棋界の最高峰を向こうに回してのことなのだ。
私の記憶では、A級に在籍しタイトル戦の常連になって以降、8割超えを果たしたのは七冠制覇を成し遂げた1995年度の羽生善治しか思い出せない。
いくら大山十五世名人最強説を唱える懐古主義者の私でも、藤井聡太の強さにはシャッポを脱がずにいられない。

たしか、30年近く前のことだった。
先崎学九段は麻雀を嗜むこともあり、麻雀雑誌にインタビューが載っていた。
それは、運の要素が非常に大きい麻雀に比べ、将棋はどうなのかという質問だった。

「アマチュアの強豪とは、プロならば8割は勝てると思う。だが、将棋も2割程度は運が介在する。なので、それ以上勝てるかは運次第である」

如何せん昔のことなので、正確な文言ではないかもしれない。
だが、その発言に、とても驚いたことを覚えている。
私は麻雀をよく打っていたため、運が色濃く影響することは知っていた。
ところが、将棋に運が介在することは、ほとんど無いと思っていたのである。
しかし、よくよく考えてみると、序盤で手待ちに一つ上がった香車が一段飛車に取られずに、勝因になった棋譜を見たことがあった。
AIならいざ知らず、序盤の手待ちが勝因になるなど人間には読み切れない。
これは、まさに運である。

つまり、どんなに強くても、プロ棋士相手に勝てるのは理論上8割が上限になるだろう。
もちろん、下位のクラスに所属し絶好調のときには、1、2年ならば可能かもしれない。
しかし、年間勝率が1度も8割を下回らず、通算勝率で8割3分を超えるなど、定命の者の領域を逸脱している。

後は大山十五世名人までとはいかなくとも、羽生永世七冠ぐらい息長く活躍できれば、史上最強論争に終止符を打つことは必定と思われる。

王将戦第4局

そんな“史上最強の若者”藤井王将に、敢然と立ち向かう我らが羽生善治永世七冠。
正念場の第4局、期待に違わぬ、いや期待以上の会心譜で最強王者を圧倒した。

あの藤井王将が、ここまで完敗した将棋などあっただろうか。
あの藤井五冠が…ほとんどのプロが最善手と読み切った封じ手を逃すとは…。
しかも、2時間30分近く考えた末である。
私など5二銀を指すのは当然として、ほとんど詰みまで読み切ってしまったのでは?と勝手に思っていた。
だが現実は…あの藤井五冠が苦慮していたのである。

いったい何が起こったのだろう。
もしかすると、盤を挟んで羽生善治と向き合う者にしか分からない、人智を超えた何かが働いたのだろうか。
それとも、藤井五冠も人間ということで、ただ単にミスをしただけなのか。
あるいは、歴史的タイトル戦に臨むにあたり、これまで以上のプレッシャーを感じているのだろうか。
いずれにせよ、封じ手以降の羽生さんの指し回しは見事というしかない。

ちなみに、1日目の夜に配信した糸谷八段と香川女流四段のYouTubeで、糸谷八段は封じ手を的中させていた。
「あれだけ考えていたのだから、常識的な手は指さないのではないか」と予想していたのである。
さすが、“ダニー”だと感心した。

私は自他共に認める羽生善治のファンである。
しかし正直言って、ここまで藤井王将と戦えるとは予想していなかった。
羽生さんに失礼なのは承知だが、1勝できれば御の字だと思っていた。
もし2勝することができたなら、タイトル奪取にも匹敵するほどの快挙だと考えていた。
ところが、ふたを開けてみれば、ご覧の通りである。

羽生永世七冠は王将戦開幕前日にインタビューを受け、かく語る。

「藤井王将とのタイトル戦が実現できて嬉しい。だが、対戦が実現しただけではあまり意味がない。せっかくの大舞台に恵まれたので、内容のある将棋を指したい」

まさに羽生善治永世七冠は自らの発言を具現化し、タイトル戦にふさわしい中身の濃い将棋を指している。
52歳という年齢を言い訳にせず、さらなる成長を目指すため試行錯誤を重ねている。
ひたむきに将棋に向き合う姿勢が素晴らしい。

ここから改めて三番勝負となる。
勝負はときの運ともいう。

“将棋界が誇る至宝”ふたり。
羽生善治と藤井聡太には“81マスの無限の宇宙”を心ゆくまで旅して欲しい。


勝負哲学

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