幼少期、私は高倉健が嫌いだった。
「男は強くなければ生きていけない。男は優しくなければ生きる資格がない」
古い記憶なので正確ではないかもしれないが、これはCM出演時の高倉健の台詞である。
一緒にテレビを見ていた母親が「ほら、聞いたでしょう!あなたも男なんだから、見習わなくちゃね」と、いかにも鼻につくような感じで宣わった。
この発言に、私は子ども心に虫酸が走ったことを覚えている。
私は生まれつき、ユニークな三枚目のキャラが好きだった。
当時でいえば『ルパン三世』の銭形警部、少し後では『めぞん一刻』の四谷さんというように…。
なので、ただでさえ高倉健のキザな台詞に鳥肌が立っているところに、母親のダメを押すようなKY発言。
この一件以降、私の高倉健嫌いが確定した。
そんな私が健さんの佇まいに惹かれ、その人柄を敬愛するようになるのだから、人生とは摩訶不思議である。
きっかけ
高倉健は昭和一桁生まれにもかかわらず180㎝という長身に恵まれ、端正な顔立ちも手伝い、デビュー間もなくして主役の座を射止めた。
その後、『日本侠客伝シリーズ』、『網走番外地シリーズ』、『昭和残侠伝シリーズ』における任侠役で人気を博し、東映の看板俳優となっていく。
まさに、最後の銀幕スターとも呼ぶべき存在であった。
二枚目嫌いの私がこんな高倉健を好きになる由もなく、しばらくは興味すら無かった。
ところが、浪人時代に観た深夜映画で、健さんへの評価はコペルニクス的転回を迎えた。
たまたま点いていたテレビを何の気なしに見ていると、私の嫌いな高倉健が主役で出ていた。
その映画は『遥かなる山の呼び声』という。
これまた偶然なのだが、少し前に友人との会話で高倉健が話題に上った。
友人は高倉健のファンであり、特に雄大な自然の中で酪農をしている姿が好きだという。
すぐにチャンネルを変えようかとも思ったが、暇な私は友人の顔を立てることにした。
程なくして、この映画は友人の言っていたシチュエーションそのものだと気付く。
北海道の農場を舞台に高倉健演じる主人公が酪農を営む母子の下で、牛の世話をしながら働いている。
厳しい大自然の中、亡き夫の残した農場を必死に守る母と子。
そんなふたりを見守る寡黙で実直な主人公。
悲しみを抱えながらも健気に生きる人々が織り成す世界観に、気がつくと引き込まれていた。
そして、ラストまで一瞬たりとも目を離すことができなくなってしまう。
この名作を観終わった時、なぜ高倉健があれほど絶賛されるのか理解できたような気がした。
そして、私の高倉健への評価を決定づけたのが『幸福の黄色いハンカチ』である。
初めて本作品を観たのは、菅原文太が主人公を演じたリメイク版である。
当時小学生だった私は、菅原文太の重厚な演技にすっかり魅せられた。
それから十数年の時を経て、監督山田洋次、主演高倉健のオリジナル版を鑑賞する機会を得る。
若き武田鉄矢や桃井かおりのみずみずしい演技も作品に色を添えていた。
だが、何と言っても高倉健である。
孤独と哀愁をそっと肩に隠す、不器用な生き方。
でも、本当は誰よりも温かい心と誠実さを宿している。
そんな男を演じさせたら、高倉健の右に出るものはいない。
普段の生き方や心の在り方が演技に出るのだと、自信を持って言い切る高倉健。
この映画を観て「その言葉に偽りなし」と確信したのは私だけではないはずだ。
たしかに、菅原文太の演技も本当に良かった。
だが、高倉健の「幸福の黄色いハンカチ」は更なる深い余韻を残した。
それは、高倉健という人物に魅了されたからかもしれない。
あるいは、無垢な子ども時代から歳月を経て、幾度か味わった挫折や人生のほろ苦さを高倉健の背中に見たからかもしれない。
いずれにせよ、私が高倉健の崇拝者になったことだけは確かである。
心に残る名言
健さんは多くの名言を残している。
一部ではあるが、個人的に印象に残ったものを紹介する。
1.「何をやったかではなく、何のためにそれをやったかである」
私はこの言葉を知った時、とても勇気づけられるとともに、自分が信じてきたことが報われた気がした。
人の世においては大抵の場合、結果が全てであろう。
特に最近では、日本人の美徳など忘却の彼方に追いやられ、拝金主義とともに結果至上主義がまかり通っている。
もちろん、結果が重要なのは言うまでもない。
しかし、結果に拘泥するあまり、そこに至るまでの過程や、何故それに取り組んだのかという志などを疎かにしすぎてはいないだろうか。
そして、目指すべきもの、成し遂げるべきもののため、どれだけ情熱を傾け最善を尽くしたか。
そんなことも大切にして欲しいという、健さんの思いが聞こえるようである。
2.「1日も早く、あなたにとって大切な人のところへ帰ってあげてください」
高倉健は、遺作「あなたへ」のロケ地となった富山刑務所へ表敬訪問した。
ところが、講堂に集まった受刑者を前にし、こみ上げてくるものを抑えきれなかった。
そんな中、懸命に声を振り絞り、標題の言葉を受刑者約350人に贈る。
そして、最後に「それを心から祈ってます」と万感の思いをこめ結んだ。
すると、受刑者達から万雷の拍手が鳴り響く。
当時、齢80を超えていた健さんが、背筋を伸ばし凛とした佇まいで語りかけた言霊。
“心温かきは万能なり”を体現する姿に、ただひたすらに私は感動するのである。
3.「拍手されるより、拍手する方がずっと心が豊かになる」
健さんが口にしたこの名言。
実は、現実になったシーンがある。
それは、日本アカデミー賞の授与式でのことだった。
岡村隆は「無問題」で話題賞を受賞した際に、司会者からどんな俳優になりたいか訊かれる。
受け狙いもあって、「高倉健さんみたいな俳優になりたいです」と答えた。
だが、会場からは失笑が起こり、いたたまれない空気が岡村を襲う
すると、ひとりの男性がスッと立ち上がり拍手を送った。
高倉健である。
その瞬間、会場にあたたかい空気が流れ、どれほど岡村隆が救われたことか。
それ以降、健さんが多忙な岡村を気遣い手紙を送るなど、ふたりは交流を深めるようになった。
4.「人に裏切られたことなどない 自分が誤解していただけだ」
この箴言も実に素晴らしい。
人はみな、大なり小なり他人から裏切られた経験を持っている。
そして、裏切り行為をした人間に怒りを覚え、責めるのが常である。
しかし、「自分が相手を誤解していた」と思えれば、あくまでも非は自分にあるので相手を恨むことはない。
健さんの生き方を見ると、なぜか、この言葉を実践してきたに違いないと思えるから不思議である。
これを実践するためには、「謙虚さ」や「寛容さ」などが高いレベルで求められる。
「言うは易く行うは難し」であるが、少しでも健さんを見習いたいものである。
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全身全霊を傾ける
健さんの映画撮影時にまつわるエピソードは事欠かない。
『幸福の黄色いハンカチ』で刑務所から出所してすぐにビールを飲み、カツ丼を食べるシーンがある。
あまりにも美味しそうな姿に、山田洋次監督は思わず尋ねた。
「なぜ、そんなに美味しそうに演じられるのか」
すると、高倉健は平然と「この撮影のために2日間、何も食べませんでした」と答えた…。
その言葉に唖然とする山田洋次。
また、「網走番外地 大雪原の対決」で健さん演じる主人公が、馬に引きずり回される場面でのことだった。
危険なのでダミー人形を使用し、監督はOKを出す。
ところが、健さんは「それでは臨場感が出ません。自分がやりますんで撮り直してください」と自ら申し出たのだ。
当然、体中血だらけになる高倉健だった。
そして、健さんの素晴らしさを表わすエピソードは、日本だけにとどまらない。
高倉健主演の『単騎、千里を走る』のメガホンを取った中国の巨匠チャン・イーモウは、健さんを最も敬愛する人物だと言ってはばからない。
チャン・イーモウ監督は述懐する。
「その作品は、初めて椅子に座ることなく撮影した」
休憩中にもかかわらず、「スタッフや共演の方々が撮影をしているのに、自分だけのんびりと座っているわけにはいかない」と腰掛けない健さんを見て、撮影現場から全ての椅子を撤去したのだ。
さらに、受刑者役をしていたエキストラが本物の受刑者だと知った健さんは撮影後、監督に相談して彼等と対話の機会を持つ。
「皆さんはまだ若い。これから、いくらでもやり直せます。そうなることを願っています」と言うと、感極まり滂沱の涙を流す高倉健。
その姿を見たチャン・イーモウ監督をはじめとするスタッフ一同は、感動のあまり熱いものが込み上げることを禁じ得なかった。
孤独を纏う理由
芸能人のスキャンダルが世間を騒がす昨今、健さんほどプライベートがベールに包まれている人物もいないだろう。
それは、健さんが本名の小田剛一ではなく高倉健としてのイメージを壊さぬよう、徹底的に私生活を隠し続けていたからである。
高倉健は過去に1度結婚しているが、12年半でピリオドを打った。
相手は、美空ひばり等とともに3人娘として活躍した江利チエミである。
実は、ふたりは決して憎み合って別れたのではない。
江利チエミの異父姉を名乗る人物が夫婦に言葉巧みに近づき、家政婦兼付き人となり様々な金銭トラブルを引き起こす。
最終的には、彼女が使い込んだ金額は3億円以上とも言われている。
今から約50年前の時代で3億円といえば、現在では数十億円になるであろう。
そのうえ、異父姉は夫妻への誹謗中傷も繰り返したため、妻の江利チエミが夫にこれ以上迷惑をかけられないと、苦渋の決断を下したのだ。
江利チエミは離婚から約10年後、45歳という若さで不慮の死を遂げる。
それ以降、高倉健は毎年命日になると人知れず墓前に姿を現した。
生涯、別れた妻を想い続けていたのかもしれない。
まとめ
「人生で大事なものはたったひとつ。心です」
高倉健はそう言い切った。
また、「人生っていうのは、人と人の出会い。一生の間にどんな人と出会えるかで、人生は決まるんじゃないですか」とも語る。
これらの言葉が示すように、己を律し自分に恥じることはせず、人を想い、人との出会いを大切にした健さん。
表面的な格好良さを超越した内面から滲み出る心の美しさが、我々の魂に語りかける。
もう二度と現れないであろう俳優・高倉健。
その不器用で凛とした佇まいは、多くの日本人に愛された。