銀盤の女王② アリーナ・ザギトワ~平昌五輪 氷上の美しき戦い~




2018年2月、平昌オリンピックにおいてフィギュアスケート女子シングルが行われた。
日本勢は、宮原知子が4位、坂本花織が6位と健闘を見せる。

そんな中、ロシアが誇る10代のライバルは、別次元の演技で史上空前の戦いを繰り広げた。

その選手たちの名は、アリーナ・ザギトワとエフゲニア・メドベージェワである。


アリーナ ザギトワ 写真集

オリンピック前夜

エフゲニア・メドベージェワはソチオリンピック以降、絶対女王として君臨していた。
ジュニア世界選手権で優勝を遂げると、2015-2016シーズンにシニア転向し、いきなりGPファイナルと世界選手権を制覇する。
そして、翌シーズンも同様にGPファイナルと世界選手権の2冠を達成し、名実ともに銀盤の女王となる。

オリンピックを直前に控えた2017-2018シーズン、女王メドベージェワに暗雲がたちこめる。
GPシリーズでは優勝こそするが、ミスが目立ち今一つの内容で終えた。
追い打ちをかけるように右中足骨を骨折し、GPファイナルの欠場を余儀なくされる。
ようやく、2ヶ月ぶりの実戦となるヨーロッパ選手権で復帰を果たすが、そこで待ち受けていたのが、同じ“鉄の女”エテリ・トゥトベリーゼ門下生のアリーナ・ザギトワであった。

アリーナ・ザギトワは15歳でオリンピックシーズンに彗星のごとく現れると、GPシリーズを連勝し、勢いそのままにGPファイナルも制した。

結局、初の直接対決となるヨーロッパ選手権では、ショートプログラムとフリースケーティングともにザギトワがトップになり、勝利を飾った。

この結果により、俄然、オリンピックの金メダルの行方が分からなくなった。

アリーナ・ザギトワとは

アリーナ・ザギトワは、2002年5月18日にロシアのイジェフスクで生まれる。

これまで様々なフィギュアスケーターを見てきたが、ザギトワを初めて見たときの衝撃はかつてないほどのものだった。
15歳とは、とても思えぬ美しさと妖艶さ。
美人揃いの女子フィギュアスケーターの中でも、歴代No.1の美しさではないだろうか。

何よりも、演技が驚異的だった。
体力が厳しくなる演技後半に、全てのジャンプを構成するプログラム。
そして、当時の最高難度トリプルッツとトリプルループのコンビネーションジャンプをいとも簡単に決めていくのだ。

また、ジャンプ等の技術点だけでなく、芸術的要素を採点する演技構成点でも平均で9点台中盤に届くなど、メドベージェワに次ぐ評価を受けていた。
これで15歳といわれても俄かには信じられない。

さらに、驚かされるのが練習風景であった。
ザギトワは、3回転ジャンプを3回4回と連続して跳んでいく。
それも軽々と…。
おそロシアという言葉しか見つからない。

そんなザギトワに、オリンピック本番で理不尽な仕打ちが待っていた。
ショートプログラム2日前、突然抜き打ちのドーピング検査を受けることになる。
それも、フルバージョンで演技を行っている最中に、開始5分で練習を中断させられたのだ。
これにより、ザギトワは予定していた練習を全く出来なくなる。
アスリートへの敬意のかけらもない蛮行と言わざるを得ない。

だが、驚異の15歳アリーナ・ザギトワは試練を乗り越え、2日後のショートプログラムで世界を震撼させるのであった。

氷上の美しき戦い

ショートプログラム

宮原知子が76点に迫る得点を出すと、銅メダルを獲得したカナダのケイトリン・オズモンドも78点台をマークする。
4年間の思いをぶつける選手たちの演技は、どれもが素晴らしかった。

だが、ロシアの少女ふたりは、80点台を越えるハイレベルな滑りを見せつける。
まず、メドベージェワが登場すると、団体戦でマークした81.06点を上回る81.61点の世界新記録を更新した。

今度は、そのメドベージェワの演技を見届けたザギトワが82.92点を叩き出し、あっという間に世界新記録を塗り替える。
ブラックスワンの旋律にのせたザギトワの滑りは、思わず見入ってしまうほど美しかった。
それ以上に感嘆するのは、メドベージェワの高得点を目の当たりにし、プレッシャーがかかる五輪本番でこの演技をできることである。

ノーミスで演技を終えたザギトワは、メドベージェワを1.31点差リードし、フリースケーティングを迎えた。

フリースケーティング

ショートとは一転、真っ赤な衣装で登場するアリーナ・ザギトワ。
プログラム曲はドン・キホーテである。
いつもどおり、前半はジャンプを入れずリンクを目一杯に使って優雅に滑走していく。
コレオシークエンスやステップシークエンス等、GOEも十分な加点を付けながら得点を積み重ねていく。

いよいよ後半に入り、これから勝負処がやってくる。
なぜならば、7本全てのジャンプを後半に集中して跳んでいくからだ。
ところが、いきなりザギトワはミスしてしまう。
予定では、ザギトワ最大の得点源であるトリプルルッツ&トリプルループの高難度コンビネーションジャンプを跳ぶはずだったのだが、トリプルルッツのみのシングルジャンプになってしまう。
波乱の予感が場内を駆け巡る。

しかし、ザギトワは動揺することなく、その後のジャンプをまとめていく。
演技も終盤に差し掛かり、ドン・キホーテの軽快なリズムがザギトワを後押しする。
そして、元々はシングルジャンプの予定だった2本目のトリプルルッツを跳ぶと、続けてトリプルループも着氷し、完璧なまでのコンビネーションジャンプを成功させたのだ!

最初のミスを見事にリカバリーしたアリーナ・ザギトワ。
大舞台での一発勝負で、崩れない精神力には感服する。
しかも、彼女はまだ15歳なのだ!

残るジャンプも安定感抜群に跳んでいき、最後のジャンプ・ダブルアクセルも着氷する。
大団円を迎え、大歓声が鳴り響く中、コンビネーションスピンを華麗に決めてフィニッシュした。
その瞬間、満面の笑みを浮かべたザギトワは右腕を突き上げた。
その姿には、全てを出し尽くした満足感が漂っている。

演技を終えるとコーチと抱き合い、ザギトワはキス&クライで得点を待つ。
結果が発表されると、場内はどよめいた。
フリーの得点は156.65点で、ショートとの合計239.57点をマークした。

最終滑走者、エフゲニア・メドベージェワが登場する。
その姿は気負うでもなく、さりとて恐れるでもなく、ただ女王の威厳を放つのみである。

いよいよ泣いても笑っても、氷上の美しき戦いは、これで雌雄を決するのだ。

「アンナ・カレーニナ」の曲が流れると、持ち前の表現力と芸術的な滑りで、絶対女王エフゲニア・メドベージェワは観客の心を掴んでいく。
まるで、劇場で舞台演劇を見ているのかと錯覚する。
ジャンプ、スピン、ステップ、全てをミスなく決める圧巻の滑り。
ただでさえ、プレッシャーが人一倍かかる最終滑走だというのに、全くそれを感じさせないではないか!

試合終了後、メドベージェワは語る。

「とても穏やかな気持ちで臨むことができました。ただ、悔いが残らないように滑ろうとしただけです。全くプレッシャーを感じることもなく、まるで翼を広げた鳥にでもなったような気持ちでした」

その言葉どおり、エフゲニア・メドベージェワはリンクの上を軽やかに、そして自在に舞って演技を終えた。
ザギトワにも負けない大歓声を浴びると、メドベージェワは感極まり両手で顔を覆った。

痺れるような緊張感の中、得点が発表される。
フリーの得点は…。
奇しくもザギトワと同じ156.65点で、ショートプログラムとの合計238.26点。
その差わずか1.31点、届かなかった。

ショートの差を際どく守り切ったアリーナ・ザギトワが、オリンピック女王の座に輝いた。

まとめ

私は、メドベージェワの演技が終了した瞬間、只ひたすら感動に打ち震えていた。
そして、キス&クライで得点を待つメドベージェワを見ているうちに、ふたりに順位をつける意味があるのだろうか?という疑問が湧いてくる。
ザギトワと共にふたりが、金メダルでよいのではないか。

しかし、金メダルが決まり、静かに喜びの涙を流す15歳の少女の姿を見て、私は己を恥じた。
彼女たちは、たった一つしか存在しない頂を目指し、青春の全てをリンクに捧げてきたのである。
だからこそ、その演技が我々の心を捉えて離さないのだろう。

そして、勝負の神聖さが際立つのは、勝者と敗者の明暗がくっきりと分かれるからではないか。
素晴らしき敗者があってこそ、単なる勝ち敗けを超越した名勝負たりえるのだ。

オリンピックという最高の舞台で、鮮やかな深紅の衣装を身にまとい、自分の持てる全てを発揮したアリーナ・ザギトワ。

女子フィギュアスケート史上最もハイレベルで美しい戦いにおける最終滑走者として、文豪トルストイの傑作「アンナ・カレーニナ」の世界観を類い稀なる表現力で演じ切ったエフゲニア・メドベージェワ。

ロシアが誇る新旧女王が流した美しい涙は、永遠にフィギュアスケートを愛する人々の胸に刻まれた。

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