忘れ得ぬ名馬① ダイワスカーレット




これまで、数多の名牝たちが牡馬顔負けの活躍をしてきた。
古くはエアグルーヴにヒシアマゾン、21世紀に入ってはアーモンドアイ、ジェンティルドンナにブエナビスタと枚挙に暇がない。

しかし、私が最も惹かれ、そして最も鮮烈な印象が残っているのは、歴史的名牝ウオッカの永遠のライバル・ダイワスカーレットをおいて他にいないだろう。

ダイワスカーレットとは

父がデビューから無敗で皐月賞を制した“光速の粒子”アグネスタキオン、母が重賞4勝のスカーレットブーケというダイワスカーレットは、華麗なる血統を受け継いだ生まれながらのエリートといえるだろう。

事実、全12戦中1着が8回、2着4回という生涯連対率100%が示すように、安定感抜群の走りであった。
テンが速く、スピードの違いで自然とハナに立つと、そのまま押し切ってしまう。
しかも、逃げ馬でありながらペースによっては上がり3ハロンを33秒台でまとめてしまうので、後続馬からすると手も足も出ないこともあった。

まさに「テンよし 中よし 終いよし。ダイワスカーレット言うことなし」である。

このように、危なげなく勝利を収めていくレーススタイルも手伝い、ライバルのウオッカと比べると人気面では今ひとつだったように思う。

それにもまして残念だったのは、体質が弱く、怪我がちだったことである。
また、容姿やイメージとは異なり、どんなに厳しい展開でも最後まで全力を尽くす“ど根性娘”であったことも、元々弱い体質に更なる負担をかけたのかもしれない。

3歳になると、桜花賞と秋華賞でウオッカを破り、初の古馬との対戦となるエリザベス女王杯でも完勝するなど、GⅠレースで3勝を挙げる。
そして、有馬記念でも並いる強豪相手に2着となる。
これだけの実績を残しても、ダイワスカーレットの実力に見合う評価はされなかった。

私はダイワスカーレットの走りを見るにつけ、ある名言を思い出す。
それは「力とは力が見えぬことなり。強さとは強さが見えぬことなり」という言葉である。
どんなに難しいプレーでも簡単にこなしてしまえば、ファインプレーには見えない。
特にドラマチックな走りをするでもなく、淡々とレースを支配し、簡単に勝ってしまう。

そんなダイワスカーレットが、本当の意味で世間から称賛を浴びたのが、4歳で迎えた天皇賞秋だった。



天皇賞秋

2008年11月2日、東京競馬場で永遠に語り継がれるであろう名勝負が演じられた。
人気を分け合ったのは4歳牝馬の2頭、ウオッカとダイワスカーレットである。

ステップレースを一叩きしたウオッカは、これ以上ない仕上がりを見せていた。
それに加えて、東京競馬場は牝馬として64年ぶりにダービーを制した舞台であり、GⅠ通算7勝のうち、実に6勝をこのコースで挙げているのだ。
「これで勝てなければ、2度とダイワスカーレットには勝てない」とウオッカ陣営の角居調教師が言うのも頷ける。

一方で、ダイワスカーレットは春先に大阪杯を制したものの、怪我による長期休養を経て、7ヶ月ぶりに挑むレースがGⅠ天皇賞秋だったのである。
また、東京競馬場は未経験のコースであり、最後の直線が500m以上もある逃げ馬不利のコース形態となっている。
さらに、調教でもこれまで見たことがないほどのバラバラの走りをしており、いきなりGⅠに出走するのは無謀に思えた。

レース当日を迎え、やはりというべきか、ダイワスカーレットは入れ込んでいる。
そして、異常に高いテンションの影響で発汗も目立っていた。
その様子に、私は思わず天を仰ぐ。

ゲートが開くと、いつものようにスタートダッシュを決めるダイワスカーレット。
しかし、一つだけ普段と違うことがあった。
レース前に安藤勝己騎手が心配していたとおり、ガツン!と掛かってしまったのである。

しかも、レース中盤でウオッカと同厩舎のトーセンキャプテンが、援護射撃とばかりに不自然にペースを上げてダイワスカーレットを煽っていく。
こうしたこともあり、先頭を行くダイワスカーレットの1000mの通過は、58.7秒と速いペースとなる。
だが、一番の問題は只でさえ力んでいるところに、追い打ちをかけるように絡まれてペースを乱されたことである。

案の定、ダイワスカーレットは直線に入ると失速し、馬群に呑み込まれていく。
併せ馬のようにして上がって来たウオッカとディープスカイに、完全に捉えられたように見えた。

安藤勝己はこの場面を述懐する。
「最悪のレースをしてしまった。3着もないと覚悟した。いや、それどころか普通の馬なら惨敗だったに違いない」

しかし、次の瞬間、私は我が目を疑った。
あれだけ脚色が違っていたにもかかわらず、なんと!ダイワスカーレットは差し返そうとしているのだ!
何という粘り腰であろうか。

あのバラバラの調教、入れ込んだ末の異常なまでの発汗、そして半年以上の休み明けでのGⅠレースという過酷な舞台。
しかも、東京競馬場の芝2000mは、いっさい誤魔化しのきかないスピードと地力を試されるコースなのである。

ただでさえ調整が難しい牝馬だというのに、これだけの悪条件が揃う中、驚異の二の足で再度加速して“府中の女王”ウオッカを凌駕しようとしているのだ。

人間の浅薄な常識では計れぬ、ダイワスカーレットの底力。
そして、それ以上に彼女の強き心に感動する。
苦しい状況で諦め、心が折れてしまっては、絶対にあそから巻き返すことなどできはしない。

私は、眼前で繰り広げられている究極の走りに心を奪われ、半ば放心状態と化していた。

ダイワスカーレット、ウオッカ、ディープスカイの3頭が激しく叩き合う。
そして、ダイワスカーレットとウオッカの2頭が内外離れて、ゴールに飛び込んだ。
その激闘に、東京競馬場はどよめいた。
だが、どちらが勝ったか分からない。
審議のランプが点灯し、永劫にも感じる時が訪れる。

ついに、13分にも及ぶ写真判定の結果が出た。
その差わずか2㎝、ウオッカに勝利の女神が微笑んだ。
走破タイム1分57秒2、従来の記録を0.8秒も更新するレコードである。

これまで、ダイワスカーレットはGⅠをはじめとする勝利を収めてきたレースでは、必ずしも評価が高かったとは言い難い。
しかしながら、ライバルの後塵を拝したレースで称賛を浴びるに至った。
そのことに、皮肉を感じずにはいられない。

それにしても、敗れたとはいえ、ダイワスカーレットの走りは見事の一言に尽きる。
秋晴れの空に夕暮れが迫る中、私はこの歴史的名牝と出会えたことに感謝した。



ウオッカvsダイワスカーレット 天皇賞 運命の15分と二人の厩務員

まとめ

次戦、ダイワスカーレットは有馬記念に出走する。
スタート直後から緩みのないラップを刻み、無人の野を行くが如くダイワスカーレットは先頭をひた走る。
厳しいマークで競りかけてきたGⅠ馬たちが次々と失速していく中、ダイワスカーレットは圧巻の走りを見せつけた。
井崎脩五郎の「超一流馬に一流馬が潰された」というコメントが、このレースを雄弁に物語る。
実に、37年ぶりとなる牝馬の有馬記念制覇であった。

年明けに屈腱炎を発症したダイワスカーレットは、このレースで現役生活を終える。
主戦ジョッキーの安藤勝己は「スピードの持続力が持ち味の馬であり、本来2500mは長い。しかし、能力だけでこなした」と語る。
そして、言葉を継いだ。
「能力だけでいえば、ウオッカよりも上だった」

この発言には賛否両論あるだろう。
真の実力を試される東京コースでGⅠ6勝したウオッカは、記録にも記憶にも残る名馬である。
しかし、そのウオッカの前に立ちはだかり、直接対決で3勝2敗と勝ち越したダイワスカーレットもまた、競馬史に燦然と煌くに違いない。

忘れ得ぬ名牝ダイワスカーレット。
映画「風と共に去りぬ」の主人公スカーレット・オハラにちなみ名付けられた名馬は、我々の記憶に鮮やかな印象を残したまま風と共にターフを駆け抜けた。

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