競泳最終日、男子400mメドレーリレーで日本記録を出し8位入賞を果たすなど、日本勢は最後まで健闘を見せる。
そして、何といっても男子100mバタフライ(視覚障害S11)で、木村敬一が悲願の金メダルを勝ちとり、人生最高の瞬間を迎えた。
男子100mバタフライ(視覚障害S11)
決勝レース
本種目には、2名の日本人選手が決勝に登場する。
そのうちの一人は今大会2つのメダルをとっている富田宇宙であり、予選も2位のタイムを出している。
そして、もう一人が木村敬一である。
木村敬一は1990年9月11日、滋賀県栗東市で生まれる。
2歳の時に失明した彼は、ものを見た記憶がない。
何も見えない世界で、自らの泳ぎをつくり上げてきたのである。
そんな木村は2012年ロンドン大会に初出場すると、銀メダルと銅メダルを1個ずつ獲得した。
次のリオ大会でも4つのメダルをとるが、金メダルだけは手にすることができなかった。
気合十分で臨んだ今大会も、男子100m平泳ぎ(視覚障害S11)であと一歩金メダルに届かずにいた。
とはいえ、木村は泳ぐたびに調子を上げており、予選も1位通過と否が応でも金メダルへの期待が膨らんでいく。
決勝のレースに際し、先に入場した富田宇宙は左手を挙げながら握り拳を作るなど、気迫があふれている。
木村敬一は、長年指導を仰ぐ寺西真人コーチに先導されながら最後に登場した。
長かった東京パラリンピック競泳競技、個人種目のフィナーレを飾るレースが今始まろうとしている。
テレビの前の私も、観戦しているだけなのに緊張してきた。
スタートの合図が鳴ると、全員一斉に飛び込んだ。
まずは、ほぼ横一線といったところか。
4レーンの木村と、今大会3つの金メダルをとっているドルスマンが徐々に抜け出し、激しく先頭を争っている。
このドルスマン。
ここまで、ことごとく木村と富田の前に立ちふさがってきた、本クラスNo.1の実力者なのである。
50mのターンをトップで折り返したのは木村敬一だ。
続いて、ドルスマンと富田宇宙が0秒48差で並んで追いかける。
ターンして間もなくするとドルスマンが追撃態勢に入り差を詰められるも、再び木村が引き離す。
レース終盤、ドルスマンをかわして富田宇宙が上がってきた。
怒涛のラストスパートで木村を体半分の差まで追い上げるも、木村が執念の泳ぎで逃げ切った。
日本チームの2人で、ワンツーフィニッシュだ!
これは、パラリンピック競泳競技における日本初の快挙となった。
日本パラ競泳界の悲願達成
目の見えない二人は、ゴールしてもすぐに結果が分からない。
一拍の間を置き、コーチから金メダルを告げられ、木村敬一は喜びを爆発させる。
すると、隣のレーンの富田宇宙が木村に近寄り、抱き合いながら互いの健闘を讃え合う。
さらに、ドルスマンもやって来て、木村の肩を叩き祝福する。
そこには、光が射さぬ世界で孤独な戦いに身を投じ、人種も国籍の壁も越えてリスペクトしあう真のパラアスリートたちがいた。
プールから上がり、泣きじゃくる木村。
前回のリオ大会では0秒19差で敗れて悔し涙に暮れたが、今回は嬉し涙である。
傍らに寄り添う寺西真人コーチの目から光るものがこぼれ出す。
そして、寺西コーチは愛弟子の腕を高く上げながら、ふたりで会場の声援に応えている。
何という素晴らしい光景だろう。
かつて、これほどまでに師弟の絆の深さが伝わってくることがあっただろうか。
2012年ロンドン大会から9年、2016年リオ大会から5年という歳月の重みを感じずにはいられない。
そして、寺西真一コーチは高校時代から指導をしているだけでなく、ゴールが近づいたことを知らせるタッピングを行う役割も担っていた。
まさに、二人三脚で勝ちとった金メダルであった。
レース直後のインタビューを、まずは富田宇宙が受ける。
感極まりながら富田は話す。
「本当にうれしいですね。金メダルを目指して銀メダルなんで、本当は悔しがらないといけないのかもしれないですけど。木村君が金メダルをとってくれたことが本当にうれしいし、そこに続いて僕がゴールできたことも…。彼が苦労しているところもずっと見てきたし、リオで金を逃してきたことも、僕も悔しくて。最後は自分の力を全て出し切れたとはいえないかもしれないけど、望んだ結果が得られました。改めて、皆さんに感謝したいです」
私は、いつも富田宇宙のコメント力に感心する。
理路整然とした聞き取りやすい語り口だけでなく、人柄が伝わるような聴く人の心に響く言葉を紡ぎ出す。
一番輝く色のメダルを逃した悔しさもあるだろうに、ライバルの勝利を我がことのように喜ぶ姿に深い感銘を受けずにはいられない。
そして、木村敬一がインタビューを受ける。
冒頭、英語でインタビューを答えているうちに涙が止まってきたと語る木村。
しかし、今の気持ちを聞かれた途端、堪えきれずに目頭を押さえる。
「この日のために頑張ってきたこの日って、本当に来るんだなと思って。特に、この1年いろんなことがあって…。この日、来ないんじゃないかって思ってたこともあるんで。ちゃんと(この日を)迎えることができて幸せです」
インタビューの途中で、寺西コーチがガッツポーズをしていたことを知らされると、再び涙が止まらない。
改めて、ふたりの絆の固さを思い知る。
私は、この金メダルは木村個人にとどまらず、日本パラ競泳界の悲願だったと確信した。
それは、実況席の解説者だけでなく、スタジオにいるコメンテーターに至るまで、全ての関係者が感涙にむせんでいたからである。
これは、その人たちが、木村の努力、悔しさ、そして今大会に懸ける思いを知っていたからであろう。
ここまで感動的な光景は、あまり見た記憶がない。
それほどまでに、木村敬一という人間が愛されているのだと感じた。
まとめ
東京パラリンピック競泳日本代表のスローガンは、木村敬一が提案した「完全燃焼、そして未来へ」である。
どの選手も、その合言葉に違わぬ泳ぎを見せてくれた。
私はパラアスリートたちを見て、浦沢直樹の名作『マスターキートン』の一節を思い出す。
「人生の達人はどんな時も自分らしく生き、自分色の人生を持つ」
彼ら彼女たちも、時には人生に絶望し、幾度となく心が折れかかったことだろう。
だが、そのたびに這い上がり挑戦し続けたからこそ、この舞台に立てたのだ。
最後に、もう一つ付け加えたい。
「人生の達人はどんな時も諦めることなく、その視線は未来へと向いている」
まさしく今大会の選手たちは、この言葉を体現する“人生の達人”であった。