プロ野球 昭和のライバル達②“忠義の人”杉浦忠vs榎本喜八、稲尾和久
“史上最強のアンダースロー”杉浦忠は、史上最速の3年1ヵ月で100勝を挙げた。そんな往時の球界を代表するエースには同時代、鎬を削ったライバルがいた。“鉄腕”稲尾和久と“打撃の神髄”榎本喜八である。ここに“忠義の人”杉浦忠の物語を紹介する。
謎の中年ハック・フィンが、気の向くままに更新するヘッポコ記事のてんこ盛り。お暇なら来てよね~ (´ω`)
“史上最強のアンダースロー”杉浦忠は、史上最速の3年1ヵ月で100勝を挙げた。そんな往時の球界を代表するエースには同時代、鎬を削ったライバルがいた。“鉄腕”稲尾和久と“打撃の神髄”榎本喜八である。ここに“忠義の人”杉浦忠の物語を紹介する。
榎本喜八と稲尾和久。かつてパリーグを代表する選手として鳴らし、片や“打撃の神髄を極めし者”、片や“鉄腕”と呼ばれ、同時代の人々に畏敬の念を持たれていた。ライバルとして鎬を削った二人は、剣豪の如き18.44mの果し合いを演じた。
かつて打撃の頂を目指し、神の領域に到達した孤高のバットマンがいた。その打棒を目撃した関係者の多くが、その男を最強のバッターとして挙げている。“臍下丹田に意識を鎮め、そこを中心に五体を結ぶ”。打撃の神髄を極めた伝説の打者・榎本喜八に迫る。