去る8月24日、「経営の神様」「戦後最高の経営者」と謳われた、稲盛和夫が老衰のため亡くなった。
享年90だった。
近頃は(昔からかもしれないが)、東京オリンピックに関する贈収賄事件をはじめとし、長年日本の政財界で暗躍していた重鎮たちの醜い実態が露呈している。
ほとんどの容疑者が60代~70代の高齢者であり、これまで散々甘い汁を吸ってきたというのに、未だ私利私欲に走る姿を見るにつけ、人の持つ欲望の際限なさに溜息を禁じ得ない。
これらの人物の写真を見るたびに思うことがある。
権力を笠に着た傲慢さが滲み出る者もいれば、たるみ切った相貌から金と色と贅にまみれたことが容易に見て取れる者もいる。
共通しているのは、誰もかれもが面相に醜悪さが漂い、顔を見るだけで如何にこれまでの人生で欲望の限りを尽くして来たかが分かるのだ。
翻って、稲盛和夫名誉会長である。
その表情は年輪を重ねるごとに、穏やかな中に更なる上品さと徳を湛えていく。
男の顔は履歴書とは、よくいったものである。
個人的にあまり良いイメージのない財界人にあって、稲盛和夫はイエローハットの創業者・鍵山秀三郎と並んで尊敬できる数少ない人物であった。
拝金主義と利己主義がまかり通る令和の世にあって、自然の摂理とはいえ数少ない人格者を失うことは非常に残念でならない。
経営の神様
私が稲盛に感銘を受けるのは、単に経営者として優秀だからではない。
卑怯なことや嘘偽りを許さない、私利私欲を持ち込まない滅私の人だからである。
一代で世界的企業・京セラを起ち上げた辣腕経営者である。
もちろん厳しさも内包していたが、社員を信頼し、トップとして何があっても責任を取る覚悟を持っていた。
私が驚いたのは、2010年に経営が傾いていたJAL(日本航空)の会長に無報酬で就任したことだ。
ときの総理に乞われたとはいえ70代後半の年齢で赤字企業の再建に取り組むことは、リスクしかなかったに違いない。
しかも、無給なのである。
そして、就任するやいなや黒字経営に転換させ、わずか数年で再上場させたのだ。
当時、JALは職員を大量リストラする大鉈を振るった。
当然、会長の稲盛に対して、世間から厳しいバッシングが起こる。
だが実は、これは稲盛が決めたことではなかった。
稲盛の会長就任前に、企業再生支援機構がリストラ案を決定していたのである。
しかし、稲盛は一切の言い訳をしなかった。
全ての責任は自分にあると、批判の矢面に立ち続ける。
その間、精神的負担は身体にも影響し体重が激減する。
それでも稲盛和夫は決して逃げず、中興の祖としての役割を全うした。
私はこの事実を後から知り、深い感銘を受けた。
スキャンダルに見舞われると「私は知らない。全ては秘書がやったこと」と逃げ口上を打つ政治家たちと、あまりにも異なる責任感と高潔さ。
なぜ、無給でここまで出来るのだろう…。
本来は、上に立つ者ほど責任が付きまとうはずである。
責任の所在を明確にしない日本という国にあって、稲盛和夫こそ経営者の鑑だろう。
稲盛和夫と鍵山秀三郎
私が尊敬する財界人に、稲盛和夫と共に鍵山秀三郎がいることは前述した。
思うに、このふたりの共通項は魂の美しさではないだろうか。
稲盛は言う。
「生きる意味とは魂を磨くことである」
そして、それを実践するかのように、経営哲学として貫いたことは“損得ではなく善悪を優先する”というものである。
後に「日本を美しくする会」を起ち上げた鍵山秀三郎も、善悪と真心に加え、人を大切にする経営者だった。
当時、鍵山の会社は大手企業2社との取引額に大きく依存していた。
何しろ総取引額の6割近くを占めていたのである。
だが、その2社は大企業の威光をバックに、連日のように壮絶な下請けいじめを繰り返していた。
疲弊する社員を見て、鍵山は決断する。
なんと、大手2社との取引を中止したのである。
鍵山は述懐する。
「たとえ売り上げを犠牲にしても、社員に惨めな思いはさせたくなかった」
売り上げの半分以上を失う判断は、もちろん周囲の猛反対にあう。
しかし、鍵山は「社員にそんな思いをさせてまで、会社を経営しても意味がない」と突っぱね、志を貫いた。
人はどうしても目先の利益に飛びつく生き物である。
経営者ならば、なおのことだろう。
だが、金銭という実利よりも、鍵山は会社の宝である“人”を取ったのだ。
利潤よりも善悪を旨とする姿に、鍵山秀三郎の人間性が垣間見える。
鍵山もまた稲盛和夫と同様、とても柔和で感じの良い相貌である。
それは顔の造詣の美しさとは別次元のものであり、魂の美醜が表情に顕在化しているのだ。
稲盛和夫と鍵山秀三郎。
願わくは、こんな素敵な貌になりたいものである。
鍵山秀三郎「一日一話」 人間の磨き方・掃除の哲学・人生の心得
まとめ
「経営の神様」稲盛和夫の訃報に際し、徒然なるままに書き連ねてきた。
改めて振り返ってみると、その生き方には感銘を受けずにはいられない。
我々凡人は、なかなか稲盛和夫のような偉人のようには生きられない。
しかし、彼の説いた“魂を美しく磨く”ことを、少しでも心がけることは出来るのではないか。
追悼 稲盛和夫。
美しき日本人が、また一人去って行く。
だが、その精神を継承していくことが「一燈照偶 万燈照国」となるのである。