これは、50歳にしてこれまで未経験の塾講師を志したアラフィフの雑感です。
講師として子ども達と関わる中で、気付いたことや所感を述べていこうと思います。
今回と次回にわたって、同じ日に当塾を去って行った生徒たちとの思い出を綴ります。
教え子たち
早いもので、7月も終わってしまいました。
そんな中、季節外れの退塾が相次ぎ、個人的に寂寥の思いを抱えています。
ひとりは高校1年の生徒であり、もうひとりは中学3年生です。
彼らは学力も雰囲気も真逆ともいえる存在ですが、私にとっては二人ともかけがえのない教え子です。
まずは、高校1年生の教え子との思い出です。
全てを兼ね備えた優等生
その生徒は当ブログで以前紹介した生徒です。
簡単に触れると、彼は学力だけでなく人間性も素晴らしく、おまけにスポーツや美術的センスも兼ね備える、いわゆるオール5を体現した優等生です。
そして、周囲の期待どおりに第一志望の難関校に合格しました。
当初は高校受験が終了したら退塾する予定でしたが、塾長との話し合いの結果、高校に進学した後も6月いっぱいまで在籍することになりました。
中学時代から高身長でイケメンの彼は大人びた雰囲気を纏っていましたが、高校の制服に身を包む姿は少年というよりもすっかり好青年といった趣です。
「髪型も少しお洒落になったんじゃない?」
私がそう言うと、「高校デビューです(笑)」と切り返す彼に一本取られ、思わず笑ってしまいました。
部活に学業にと多忙になり、塾を休む日が増えていきました。
それでも、来れる日は可能な限り来ていたようです。
受験直後だけでなく高校に入ってからも、彼によく言われていたことがあります。
それは「先生のおかげで合格できました」という感謝の言葉です。
私は不思議でなりません。
なぜならば、私の貢献など微々たるものであり、誰がどう見ても彼の努力と実力のなせる業だったからです。
その真相について、退塾する日に聞くことができました。
彼は中学のバスケ部に所属するだけでなく、地元の少年チームでも活躍していました。
本当にバスケが好きなようで、高校でもバスケ部に入り土日も休みなく汗を流しています。
ですが、中学3年生になり部活を引退した夏以降は受験勉強一本に邁進し、バスケから遠ざかる日々を過ごしていたのです。
勉強漬けのみならず、バスケで体を動かせないことがよりストレスになりました。
そんな中、私との授業中のやり取り(他愛ない雑談も含め)が心の支えになっていたと言うのです。
そして、単なるテキストによる講義だけでなく、過去問などから抜粋した重要な熟語の言い換えや個人的にまとめた要点解説がとても役立ったそうなのです。
私は年齢的に物忘れがひどいため、重要なポイントなどをノートに書くことにしています。
中学生には少し高度な内容なものもあり、普段はほとんどお披露目することはありません。
なので、私も嬉しくなり自分の持てる知識を全て伝えました。
もともと彼は中学生に必要な知識をほとんど網羅していたので、教科書には載っていない知識が新鮮だったのでしょう。
その辺も相性が良かったのだと思います。
そして、もうひとつ。
彼は私に感謝していましたが、私も彼には感謝しかありません。
楽しい時間を過ごせたことに加え、塾講師として成長させてもらえたからです。
今後も、彼のような生徒と出会えることが楽しみでなりません。
別れの刻
その日、彼の授業は最終コマだったこともあり、塾長をはじめ他の講師とも別れを惜しんでいました。
一介の生徒が講師一同にお見送りされる光景は初めてかもしれません。
このことからも、彼の人望が窺えます。
そんな中、私は外まで見送りに行きながら言いました。
「これまでもそうだったように、大人たちは君に期待をし、口々に頑張れと声をかけるだろう。だけど、自分のペースで無理せずボチボチやればいい」
そして、ある物語の一節を贈ります。
「才ある者は周囲の期待に応え、社会に貢献する義務があるのかもしれない。だが、これだけは忘れてはならない。己を犠牲にしてまで護るべき世界など存在しないということを!」
彼はこれまで先生や同級生、親など周囲の期待や要求に応え続けてきました。
ときには気の進まないことでも、我慢しながらやってきたと聞きます。
そんな辛抱強く心優しい彼だからこそ、上記の箴言を忘れないで欲しいと願います。
なぜならば、この世界と同様に彼の人生も決して替えの利かないものなのですから。
最後に、彼は言いました。
「先生!またどこかで会いましょう!」