50歳の新人、先生になる 第8回「過去問の是非」




これは50歳にして、これまで未経験の塾講師を志したアラフィフ中年の体験談です。

講師として子ども達と関わる中で、気付いたことや所感を述べていこうと思います。

当記事が塾講師として奮闘している方や子を持つ親御さん、新しい挑戦に興味がある方の一助になれば幸いです。



過去問

受験シーズンも終盤戦に突入しました。
当塾の受験生も、過去問とにらめっこしながら奮闘中です。

過去問は出題傾向を知ることができ、非常に効果的な教材です。
それに加え、実戦形式で現在の実力を知ることが可能となり、受験生にとって大いに刺激を受けるでしょう。

ほとんどの生徒には、是非とも活用して欲しい一品です。



疑問

ですが、実際に過去問を使って指導していると、どうしても疑問が沸いてきます。
定期テストで赤点に届かない生徒に入試問題を解かせても、本当に有益なのかと…。

無論、教科にもよるでしょう。
私が強く感じるのは、特に英語です。
彼らは、中1の単元から基本的な知識が抜け落ちていることがほとんどです。
実際の入試問題の多くは長文形式で出題されており、全くと言ってよいほど内容を理解できません。
それはそうでしょう。
文法・単語の語彙力とも絶望的なのですから。

こういった生徒に過去問をやらせるのは、個人的にはただ単に“やってる感”を演出しているに過ぎないと感じます。
受験まで時間が無いので、実戦形式の学習を課したくなるのは重々承知ですが、ここは急がば回れで基本の復習に時間を割いたほうが遥かに効果的だと痛感させられます。

私は常々、モノには順序があると思っています。
野球を例にすると、どんな天才も最初から150キロの剛速球はバットに当たりません。
最初は遅い球しか打てなかったことでしょう。
ですが、バッターボックスで何度も対峙するうち徐々にスピードに慣れていき、芯で捉えられるようになっていくのです。

勉強も同じではないでしょうか。
英語が全く出来ない生徒に入試の長文を解かせることは、いきなり150キロの剛速球を打てというようなものです。
まずは基礎固めをし、80キロのボールから打ち返せるようにしなければ、未来永劫テストの点数が伸びることはないでしょう。
一足飛びで100点が取れる魔法の言葉など存在しないのです。

眼前の道をまともに歩けない者が、どうして遥か彼方のゴールにたどり着けるというのでしょう。
成績が悪い子ほど、たとえ歩みは遅くとも、確実に一歩ずつ前に進んでいけるよう導くのが講師の務めだと思います。

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