口笛に乗せた、どこかユニークなメロディのオープンニングテーマ曲。
水曜ロードショーの案内人・水野晴郎の軽快な解説とともに、まだ子どもだった私は今か今かと待ちきれない。
その作品とは「刑事コロンボ」である。
ピーター・フォークのはまり役、コロンボの思い出を振り返る。
コロンボとの出会い
小学生の子どもが「刑事コロンボ」を観るきっかけといえば、通常なら父親の影響だと思うだろう。
さすがに、10歳にも満たない同級生から紹介されたとは想像しにくい。
実は、影響を受けたのは母だった。
母は若い頃、オードリー・ヘップバーンの映画をよく鑑賞していたことは聞いていたのだが、あの冴えない中年刑事のドラマに造詣が深いとは意外だった。
そんなことも手伝って、小学2年生のある日「絶対観るぞ!」と一念発起するも、睡魔に襲われ気が付くと朝になっていた。
リベンジの機会が訪れると、臥薪嘗胆とばかりに昼寝して、テレビの前に張り付いた。
私は一瞬で、ピーター・フォーク演じるコロンボなる刑事にドハマりする。
それ以来、私が安っぽい手帳の表紙に「ロサンゼルス警察署 警部コロンボ」と書き込み、常に肌身離さず携帯したのはここだけの秘密である。
最も好きな名場面
珍しく水曜ロードショーではなく、深夜帯で観た「白鳥の歌」が個人的に最も好きな作品である。
それは只々、エンディングに感銘を受けたからに他ならない。
コロンボの巧みな誘導に「証拠を残したのでは…」と気が気でない犯人が事件現場に戻ると、そこにはコロンボが待っていた。
犯人のカントリー歌手はコロンボに尋ねる。
「人殺しと二人きりで身の危険を感じないのか」と。
近くに停めていた車のラジオから、犯人の歌声が聞こえてくる。
その名曲に耳を傾けながら、コロンボはこう言った。
「ちっとも…これほどの素晴らしい歌を歌える人に悪人はいませんよ」
水曜ロードショーのナビゲーター水野晴郎は、たびたびコロンボの優しさについて言及した。
私も全く同感である。
あのシーンはたしか、夜の帳が降りた暗闇の中でのやり取りだったと記憶する。
殺人犯とふたりきりのシチュエーションは、いささかの不安を覚えてもおかしくない。
だが、コロンボは全くそんな素振りを見せず、逆に温かい眼差しを送り、犯人に信頼を寄せていた。
このシーンに「ああ…やっぱりコロンボは最高だ」と、私は胸が熱くなったことを思い出す。
コロンボは犯人が根っからの悪人ではないことを見抜いており、犯人もここまで信頼されれば、ある意味本望ではないか。
名刑事と犯人のつかの間の心の交流を感じ、ふたりを包み込む名曲の調べと相まって、いつまでも深い余韻が残っていた。
コロンボの魅力
まだ幼い私には、推理のプロセスや複雑なトリックを理解するのは難しかったが、なにせ役者と声優が秀逸極まりなかった。
170㎝に満たないピーター・フォークのとぼけた話術と何とも味のある表情。
そして、その名演技に絶妙な味付けを施し、吹き替えという大役を務めた小池朝雄。
この両者が不可分一体となり創り上げる「刑事コロンボ」の世界観に、私はすっかり魅了されてしまったのである。
後年、石田太郎吹き替えの「新刑事コロンボ」シリーズが放映された。
多くのファンは「違和感なし」と歓迎ムードに包まれる。
たしかに、この名作をただの推理ドラマと割り切れば、石田太郎でも全く問題ない。
むしろ、よくぞ後継者を見つけたと、お褒めの言葉をつかわせたい。
だが、そこにプラスしてピーター・フォークと小池朝雄のタッグでしか成し得ない、ユーモラスなコロンボ像は忘却の彼方に消え去った。
当時の私はいつも、コロンボを観ては腹を抱えて笑っていた。
ヨレヨレのコートをはおるコロンボは電話口で「あ~もしもし…わたしゃロスのコロンボ…コロンボ警部」と名乗っている。
またあるときは、「うちのカミさんがね…」と決まり文句を口にする。
かと思えば、おんぼろのマイカーがエンストし、頭をかきながら往生する。
そして、ひとたび犯人の目星をつければ、呆れるほどしつこく付きまとう。
うんざりする犯人と、どこ吹く風といった風情の中年刑事のコントラスト。
それもこれも、小池朝雄の名調子があればこそだろう。
私は、邦画では「男はつらいよ」が好きである。
人情味あふれる車寅次郎は、渥美清しか演じられない。
だが、彼が寅さんにハマるのは、それだけが理由ではないだろう。
立て板に水の啖呵売に加え、あのユーモラスな人物像は渥美清しか体現できないのである。
私は、「刑事コロンボ」にも同じことを感じていた。
鋭い洞察力に基づく推理や犯人との駆け引きのみならず、そこに冴えない風貌を存分に生かした絶妙なユーモアが不可欠なのである。
おそらく、コロンボ好きの賛同をほぼ得られない所感だが、もし同意見の方がいたならばこれに勝る喜びはない。
まとめ
「刑事コロンボ」の所感を独断と偏見で述べてきた。
あまりにも偏見が過ぎるため、もしかすると頷けない意見も多々見られたかもしれない。
あくまでも、マニアックな見解だと一笑に付していただければ幸いである。
しかし、これだけは言えるだろう。
ピーター・フォークが心血を注いだ「刑事コロンボ」の名演技。
味わい方は様々だとしても、この名作に思いを馳せる我々は同志であるということを。