「不屈の侍」前田智徳 ~理想の打球を追い求めた孤高の天才~




昨今は、カープ女子といわれる若い女性ファンも増えた広島東洋カープ。
球場もマツダスタジアに新装され、かつて赤ヘル打線の主軸を担った山本浩二や衣笠祥雄らが、広島市民球場で八面六臂の活躍を見せていたことは遠い昔のことである。

そんな古強者たちが懐かしい広島にあって、ひと際鋭い眼光を放ち、剣豪の如き佇まいで快音を響かせる孤高の天才が存在した。

その男の名は、プロ野球界“最後のサムライ”前田智徳である。


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“剣豪”前田智徳

前田智徳は、1971年6月14日に生まれた熊本県出身のプロ野球選手である。

高校は甲子園の常連校で、“打撃の神様”川上哲治も在籍した熊本工業高校に進学する。
前田は高校時代から非凡なセンスを見せ、甲子園にも4番として出場した。

高校卒業後、広島に入団し、2年目でレギュラーを獲得すると早くもゴールデングラブ賞に輝いた。
このように、プロ入りしてすぐに頭角を現した前田を私が只者ではないと認識したのは、1992年の入団3年目のシーズンのことだった。

その日、私はたまたま広島戦のデーゲームをテレビ観戦していた。
すると、まだ20歳の前田智徳が、センターバックスクリーンにホームランを叩き込む。
もちろん、打球も凄いのだが、私が印象に残ったのは面構えであった。

鋭い眼光に引き締まった厳しい表情。
一昔前の選手ならまだしも、当時の若手には感じたことのない雰囲気を纏っていたのである。

数か月後、前田智徳の評価を決定づけるシーンに遭遇する。

その日、広島は東京ドームで巨人と対戦しており、1点リードしていた。
ピッチャーはベテランの北別府で、5回2死まで無得点に抑えている。
ところが、センターを守る前田は川相の打球を無理に取りにいき、後ろに逸らしてしまう。
川相は一気にホームまで駆け抜け、同点に追いつかれた。
ガックリと肩を落とす前田。

6回表、広島は先頭の野村がヒットを打つと、送りバントで1死2塁とチャンスを迎える。
バッターは、直前に痛恨のエラーをした前田である。
だが、平凡なセンターフライを打ち上げた。
思わず、天を仰ぐ前田。

試合は同点のまま8回へと進む。
1死1塁の場面でバッターボックスに向かうのは、前田智徳である。
マウンドには抑えの石毛が立っていた。
不動の構えながら鬼気迫る空気漂う前田と、どこか気の抜けたサイダーのような表情の石毛が対照的である。

カウント2-2から石毛が投じたインコースのストレートに、前田智徳のバットは一閃した。
打った瞬間、前田は、ほとばしるような気合でガッツポーズをする。
すると、打球はピンポン玉のようにライトスタンド上段へ突き刺さった。

解説の江川卓と掛布雅之の両名も、前田智徳に感嘆の声を禁じ得ない。

そして、前田智徳は表情ひとつ変えずにダイヤモンドを回ってゆく。
いや、よく見ると、瞳に光るものがあるではないか!

伝説はまだ終わらない。
試合後、決勝ホームランを放った前田はヒーローインタビューに呼ばれる。
しかし、断わった。
不甲斐ない自分が、お立ち台に上がれるはずもないと。

「自分のミスにより、北別府先輩の勝ち投手の権利をふいにした。ホームランを打って泣いたのは、前の打席で絶対にミスを取り返さなければいけなかったのに、凡退したことが悔しくて。ホームランを打ったところで、ミスが消える訳でもない。あの日、自分は負けたんです」

私は、前田智徳という男に驚愕した。
時はバブル経済の真っ只中である。
拝金主義に汚染され、老いも若きもその狂騒に身を投じ、日本人の魂など忘却の彼方に消え去った世相の中、前田智徳の精神はまさに武士(もののふ)のそれではないか。
なによりも、この若者の野球への真摯な思いに胸を打たれた。



理想の打球を求めて

偉大なる打撃人の中には、一風変わったフォームで構える者も少なくない。
一本足打法の王貞治、振り子打法のイチロー、神主打法の落合博満などである。

それに比べて、前田のバッティングフォームはシンプルで美しい。
自然体で構える姿は一分の隙も無く、いかにも打ちそうな気配が漂っている。
「真似していいのは前田だけ」と落合が言うのも頷ける。

選球眼にも絶対の自信を持ち、これといった苦手なコースや球種もない前田を抑えることは至難の業だった。
だが、前田は投手の決め球を打ち返してこそという信念を持つため、平気で甘いボールを見逃すこともしばしばあった。
しかも、気分が乗らない時には全く精彩を欠き、別人に早変わりする。
ある選手いわく、「前田が全打席本気で立っていたら、軽く4割は打てた」と言うのも、あながち大袈裟ではないだろう。

こうしてみると、打つか否かは投手のピッチング内容よりも、前田自身にかかっているように思う。
事実、同時代に対戦した投手の多くは、前田智徳を最強のバッターとして挙げている。

また、ホームランを打っても、首をひねりながら憮然とした表情を浮かべていることも多々あった。
前田が求めるものは結果ではなく、理想の打撃、そして理想の打球なのである。

ある時、理想の打球について尋ねられた。
すると、前田は考え込みながら「ファールならあります」と答えるではないか。
ということは、あれほどの芸術的バッティングを見せながら、心から満足できる打球はそれ以外で無かったということか…。

まさしく、求道者とは前田智徳のことである。

そんな前田に対し、イチローが憧憬の念を抱き、落合博満が天才と認めるのもむべなるかなである。


前田智徳 天才の証明

天才を襲った悲劇

それは、プロ入り6年目の1995年5月23日に起きた。
ヤクルト戦で内野ゴロを打った前田は、一塁ベースへと走る。
ところが、走塁中に右アキレス腱を断裂してしまったのだ!

結局、前田はそのシーズンを棒に振る。
実は、少し前から痛みを覚え、テーピングをして試合に臨んでいたのだ。

翌年、復帰した前田は3割を優に超える打率を残し、カムバック賞を受賞する。
肉離れで欠場するなど下半身に不安は残るが、成績だけ見れば打棒は復活したように思えた。

ところが、当の本人の言葉を耳にし、私は衝撃を受けた。
「前田智徳という打者はもう死にました」

さらに、前田からは悲観的な言葉ばかりが口をつく。
「僕の野球人生は終わりました」
そして、「いっそ、もう片方のアキレス腱も切れんかなと。両方切るとバランスが良くなるというんです」
後年、その言葉どおりに左アキレス腱も…。
運命の皮肉を感じずにはいられない。

前田は怪我の後、右足になるべく負担がかからないバッティングフォームを模索した。
だが、日によって刻々と変化する足の状態に泣かされ、理想のスイングから遠ざかっていく。

そして、走攻守三拍子揃った前田から走塁と守備という翼までもがれたことも、前田に追い打ちをかけた。
その頃からだろうか…理想の打球への思いを口にしなくなったのは…。

だが、前田は鬼の形相でバットを振り続ける。
復帰直後からの4年連続を含み、幾度なく3割をマークする。
時には、30本以上の本塁打を打ち、首位打者争いまで繰り広げた。

前田にとっては万全の状態で4割を打つことよりも、思うに任せぬ体に鞭を打ち、もがき苦しみながら野球を続ける方が遥かに困難な道程だったのではないか。

神から与えられた試練に挑み、今できる最善を尽くす前田智徳の姿に“不屈の侍”の矜持を見た。



まとめ

2013年、前田智徳は引退を決断する。

阪神とのシーズン最終戦、前田はひとり阪神ベンチに向かった。
ルーキーの時から薫陶を受けた、水谷実雄打撃コーチに引退報告をするためである。

水谷は挨拶に来た前田に声をかけた。
「前田、もう苦しまなくてええのぉ」
すると、前田は恩師の胸に顔を埋め号泣した。
師弟の絆、そして何よりも怪我をしてからの苦しみの程が窺える。

2013年10月13日、ついに不世出の天才・前田智徳がユニフォームを脱ぐ時がやってきた。

引退セレモニーで挨拶に向かう前田。

「24年間、温かい声援を頂きありがとうございました。故障だらけの野球人生でしたが、多くの人に励ましを頂き、支えられて乗りきることができました。この広島東洋カープで一途に野球をできたことを誇りに思います。そして、どんな時も支えてくれた両親と家族に、本当にありがとうと言いたいです」

素晴らしい現役最後の言葉だった。
“孤高の天才”といわれながらも、実は人に恵まれた実り多き野球人生だったことを偲ばせる。

前田の雄姿を見守る家族の中でも、私は特に父親の姿が印象に残った。
目を固く瞑り、徳のある相貌を湛えながら、息子の声に聴き入っている。
感無量の思いを噛みしめる佇まいを見て、さすが前田智徳の父親だと感じ入った。

そして、もう一つ思ったことがある。
たしかに、“孤高の侍”前田智徳は怪我に泣かされ、不本意な野球人生に終始した。
しかし、だからこそ、引退時や2000本安打達成時のコメントに万感の思いが滲み出て、我々の心に深く沁みわたるのではないか。
そして、私はその姿に、漫画「アカギ」の主人公・赤木しげるの箴言を思い出す。

「無念が願いを光らせる」

人生はうまくいかないことばかり。不本意の連続である。
だが、そうした無念こそ「生の証」なのではないか。
困難や不条理の中、祈りにも似た「願い」を持ち続け、それが成就した時に「願い」はより輝く。
だが、その「願い」を成就するためには目を背けたくなるような現実を受け入れ、不本意と合意し乗り越えなければならない。
このことは、まさしく前田智徳の野球人生そのものではないか。

温かい声援に包まれながら現役生活に別れを告げた前田智徳は、誰よりもファンに愛され、そして誰よりも幸せな野球人に見えた。

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