東京オリンピック大会15日目となる8月6日(金)、この日はこれまで以上に様々なことが起こったような気がする。
その中には、選手だけでなく我々観戦者も歓喜の渦に包まれたシーンもあれば、深い絶望の淵に落とされるようなこともあった。
勝負の明暗を見せつけられた、まさに悲喜こもごもな1日となった。
歓喜の瞬間
まずは、午前中に行われた卓球男子団体戦の3位決定戦が挙げられるだろう。
水谷隼、張本智和、丹羽孝希の3人がそれぞれの持ち味を発揮し、韓国を3-1で破り銅メダルを獲得する。
別記事にも掲載したので詳細は避けるが、特に水谷が自らの卓球人生の集大成を飾るような魂を込めたプレーで、後輩たちに言葉ではなく背中で思いを託した姿が心に残った。
その他の競技でも多くの印象に残る場面があったので、順次お伝えしていく。
1. レスリング女子53㎏級
この階級は、かつて絶対女王と呼ばれ、オリンピック3連覇を果たした吉田沙保里が君臨していた。
その後継者が向田真優である。
決勝戦は、その向田真優と中国の龐倩玉(ホウセイギョク)で争われた。
攻めの向田、受けの龐倩玉という組み合わせも興味深い。
第1ピリオド、向田はタックルにいくが、龐倩玉に切られてしまう。
すると、龐倩玉に巧みにバックを奪われ、まず2点失った。
さらに、向田はうつ伏せの態勢で懸命にディフエンスをするが、後ろからクルっと回され2点追加される。
いきなり、4点ビハインドの苦しい展開となる。
結局、第1ピリオドは龐倩玉の固い守りを崩せず、0-4で終了した。
第2ピリオドに入り、向田は得意のタックルからバックを取り、2点返す。
そして、果敢に攻める向田は再びタックルにいき、またもや2点入る。
これで4-4の同点となった。
この試合は両者の獲得した最高得点が2点のため、同点で終了した場合は後から得点を入れた方の勝利となる。
つまり、このままいけば向田の金メダルである。
とはいえ、まだ時間が1分40秒残っており、向田有利とはいえ心の持ちようが難しい。
ところが、向田は全く守りに入らない。
残り40秒、向田が相手の足を取りにいく。
だが、龐倩玉は受けきり、逆に返しにいった。
向田は倒れながらも、必死に相手の足を両手でクラッチする。
クラッチが切れた瞬間、向田の金メダルは忘却の彼方へ消え去ってしまう。
この危ない場面、なんと向田は逆に相手の足を抱えながら立ち上がり、場外に押し出した!
向田が1点追加する。
何という根性なのだろう。
向田真優の金メダルへのひとかたならぬ思いが伝わってくる。
向田は最後まで逃げることなく、しっかり組み合い試合終了のブザーが鳴った。
これまで、向田は攻撃力には定評があるが、後半戦に課題が残るといわれていた。
この大舞台で、その定説を覆す戦いに感動させられる。
そして、最後まで逃げずに己の戦いを全うした姿が、何よりも素晴らしい。
2. 陸上女子1500m
陸上のトラック競技では、なんといっても田中希実だろう。
5000mこそ予選落ちしたが、1500mの力走は多くの人々に勇気を与えたに違いない。
まず予選で、4分2秒33と自らの日本新記録を更新する。
そして迎えた準決勝、田中は序盤からいきなり先頭に立ちレースを引っ張っていく。
痺れるような緊張感の中、あくまでも攻めのスタイルを貫く田中。
レースは緩みのないペースで進み、ラスト1周、田中は先頭から差のない5番手で走っている。
世界の強豪相手に、ガチンコで尋常の勝負を挑んでいるではないか!
スパートをかける先頭集団に、遅れることなく食らいつく。
このまま5位でいければ、着順で決勝進出が可能となる。
完全に6位以下を引き離し、ゴールを駆け抜けた。
日本人初の決勝進出を確定させた!
そして、なんとタイムは3分59秒19!
日本人が4分を切るなど、これまで想像だに出来なかったことである。
しかも、予選の日本記録から3秒以上も縮めたことが信じられない。
解説者の金哲彦の興奮ぶりが、その偉業の凄さを物語る。
いよいよ決勝である。
大柄な外国人選手と並ぶと、ひと際小さい153㎝の田中希実。
だが、レース前の表情は厳しさの中にも凛とした佇まいを感じさせ、どこか女剣士を思わせる。
そんな田中希実が、この種目では誰も立てなかったスタート地点へと向かう。
ところが、我々は入場シーンで驚かされた。
あの田中希実が、笑顔で手を振っているではないか!
いつも、勝負師の眼差しを崩さぬ田中が、レース前に笑顔を見せることなどあったであろうか。
スタート地点につくと、いつもの勝負師の相貌に戻る田中。
いよいよ号砲を合図にレースが始まった。
今日も、田中は積極的に前に出る。
ところが、優勝候補筆頭のオランダのハッサンが、するすると上がって来て先頭に立つ。
序盤は後方待機でレースを進めるはずのハッサンが、前に出る意表の展開となった。
その動きを見て、続々と他の優勝候補の選手たちも前へと進出していく。
戦前のスローペースの予想とは異なり、1周目のラップが62秒台で入った。
田中は5番手と絶好の位置につけている。
2周目が64秒台前半、3周目も62秒台のペースで進み、オリンピックの決勝とは思えぬハイペースとなった。
厳しいペースに先頭集団は6人に絞られる。
だが、田中はその集団のしんがりに落ちたとはいえ、前を追いかけている。
ラスト1周、スパートをかけるハッサンたちのスピードに、田中はついていけない。
さすがの田中も厳しくなり、後続の選手たちに抜かれていく。
しかし、ゴール前、迫ってくるライバルを渾身の走りで退け、入賞ラインの8位を死守した。
このレースを見て、私は思った。
6位と7位の選手はハイペースについていけず、2番手集団の中にいた。
一方、田中希実はラスト1周まで、先頭集団で粘っていた。
オリンピック記録の厳しいラップについていった堂々たる走りは、6位と7位の選手よりも内容的には濃かったのではないか。
しかも、タイムは3分59秒95と、またもや3分台で走破したのだ。
とかく世間一般ではメダルの色しか興味がないオリンピックだが、日本人として前人未到の領域に踏み込んだ偉業には、称賛の言葉が送られてしかるべきだろう。
まとめ
この日は、上記のように素晴らしい活躍もあったが、厳しい現実にも直面した。
男子サッカーでは、3位決定戦でメキシコに敗れメダルに届かなかった。
戦前、メダルが確実視されていただけに、選手たちの心の内は計り知れない。
試合後、久保建英が流した涙がそのことを何よりも物語っていた。
そして、最も日本列島に衝撃を与えたのが、男子400mリレーでのバトンミスだった。
1走の多田が素晴らしい走りを見せていただけに、悔しさが募る結果となった。
当事者の多田と山懸はもちろんだが、もしかするとそれ以上に桐生と小池は無念だったかもしれない。
何も関われないまま、決勝のレースが終わってしまったのだから。
金メダルを目指し、努力を積み重ねてきたサッカー代表と男子リレー陣。
もちろん、選手並びに関係者一同で敗因を検証し、この苦い経験を未来に生かすことは重要である。
だが、そんな彼らに対して、興味本位に騒ぎ立てる我々一般人やマスコミ等の部外者が、かけられる言葉などあるのだろうか。
せめて、我々が出来ることといえば、「あしたのジョー」のエンディングテーマ『果てしなき闇の彼方に』の一節ぐらいだと思うのだが。
甘いなぐさめなど今は 背中に沁みる はずもない
苦い涙がこぼれたら 気づかぬふりをして やるだけさ
苦い涙がこぼれたら 気づかぬふりをして やるだけさ