2006年、ドイツの地で開催されたワールドカップ決勝戦。
フランスとの激闘を制し、ワールドカップの優勝トロフィーを高々と掲げたのは、キャプテンの重責を果たしたファビオ・カンナバーロであった。
カテナチオと呼ばれる固い守りで接戦を勝ち上がった原動力となったのも、センターバックとして守備の柱石を担い、ディフェンスラインを統率したカンナバーロその人である。
トロフィーを手にするカンナバーロの立ち姿は、剃髪していたことも手伝い、修行僧を彷彿とさせる高い徳を感じさせる。
そして、何よりも印象深いのは、青雲の志を胸に秘める若き修行僧のような涼し気な眼差しであった。
ファビオ・カンナバーロとは
ファビオ・カンナバーロは、1973年生まれのイタリアのディフェンダーである。
10代でセリエAのナポリからトップチームデビューを果たし、頭角を現していく。
だが、財政難に陥ったナポリは、高額な移籍金目的にカンナバーロの放出を決める。
カンナバーロ自身は、たとえ主力選手が大量に離脱しセリエAから陥落しても、ナポリでのプレーを希望していたにもかかわらず…。
このエピソードからも、ファビオ・カンナバーロのチーム愛が伝わってくる。
その後、パルマへ移籍し更なる成長を遂げ、インテル、ユベントスとビッグチームで活躍し、イタリア代表でもマルディーニの後継者として主将を任されチームをまとめ上げた。
そんなカンナバーロは、実は意外なことにルパン三世のファンとしても有名である。
そして、峰不二子が大のお気に入りだというのだ。
若き修行僧を思わせる風貌とのギャップに驚きを禁じ得ない。
選手としての特徴
カンナバーロの身長は176㎝しかなく、体重も75㎏と小柄である。
だが、高い身体能力に加え、DFとしてのスキルは完璧といえるだろう。
跳躍力を活かした高い打点のヘディングはもちろん、的確なスライディング技術に加え、スピードも兼ね備えており世界的ストライカーにも容易について行く。
そんな数ある能力の中でも、カンナバーロの最も凄いスキルは読みの深さであろう。
まるで相手選手の動きがあらかじめ分かっているかのようなカバーリングを、いったい何度見たことだろうか。
その風貌さながらのインテリジェンスをプレーに落とし込み、高い戦術眼で冷静沈着にゲームをコントロールしていく。
ファビオ・カンナバーロが、イタリアカルチョの最高傑作の一人と呼ばれるのもむべなるかなである。
まとめ
2006年ドイツワールドカップの決勝戦は、ジダンが相手DFの挑発に乗って頭突きをし一発退場を喫するなど、非常に後味悪い結末となった。
2000年の欧州選手権・準決勝でもスペクタクルな攻撃的サッカーを展開するオランダ代表相手に、専守防衛の末PK戦で勝利をものにする。
そこには、美しくファンを魅了するサッカーとは真逆な哲学しか感じられない。
このように、私にとってイタリア代表とはアンチフットボールの象徴であり、尊敬に値しない結果偏重を絵に描いたような現実主義の権化ともいうべき存在であった。
実は、ワールドカップ直前にイタリアのセリエAでカルチョの八百長問題が露見し、イタリア代表は世間からバッシングを受け逆風に晒される。
カンナバーロが所属してユベントスはスクデットを獲得していたにもかかわらず、優勝を剥奪される憂き目に遭っていた。
そんな中でのワールドカップ制覇だったのである。
さらに振り返れば、イタリアには“ACミランの魂”フランコ・バレージを筆頭に、パオロ・マルディーニ、アレッサンドロ・ネスタなど、素晴らしいDF達がサッカー史に名を残してきた。
そんな英雄達と比肩しうる領域に達したファビオ・カンナバーロ。
その彼が、ワールドカップ優勝の立役者になったこともあり、バロンドールの栄冠に輝いたのである。
これは、かつてベッケンバウアーが確立したリベロというポジションを除く、純粋なDFとしては初の栄誉であった。
私は思った。
たしかに、この栄誉ある受賞は、カンナバーロ自身の実力の賜物だろう。
しかし、イタリア代表を担いし伝説のDF達が築いた歴史の礎があればこそ、ファビオ・カンナバーロがスポットライトを浴びることが出来たのではないかと。
個人的には、ジネディーヌ・ジダンが有終の美を飾るべく、フランスの優勝を強く望んでいた。
だが、ワールドカップトロフィーを掲げながら、深く澄んだ涼し気な眼差しで微笑むファビオ・カンナバーロの姿を見た時、初めてイタリア代表の優勝を祝福する気持ちが湧いてきた。
苦難を乗り越え、栄光を掴んだ結末もまた悪くないのだと。