3月4日に北京パラリンピックの開会式が行われ、パラアスリートたちにとっての夢の祭典が始まった。
プーチン大統領率いるロシアのウクライナ侵攻が世界に暗い影を落とす中、連日のように日本人選手たちが活躍し、数少ない明るいニュースを提供してくれている。
特に、アルペンスキーの村岡桃佳は滑降とスーパー大回転で金メダル、スーパー複合で銀メダルを獲得するなど、破竹の快進撃が止まらない。
村岡桃佳の歩み
村岡桃佳は1997年3月3日、埼玉県深谷市に生まれる。
4歳の時、横断性脊髄炎に罹患したことにより、車椅子生活となった。
その影響で元来は活発な村岡であったが、引きこもり気味になってしまう。
そんな村岡に転機が訪れる。
中学生の時、今大会でもメダリストとなった森井大輝に憧れ、本格的に競技スキーの世界に身を投じるとメキメキと頭角を現し、高校2年の時にソチ大会に出場した。
続く平昌大会では金メダルを含む5つのメダルを手にし、世界にその名を知らしめる結果となった。
村岡の飽くなき挑戦は冬季種目だけにとどまらない。
昨年の東京パラリンピックでは陸上女子100mの車椅子競技に出場し、見事6位入賞を果たしたのである。
実は村岡曰く、陸上競技で培われた筋力がアルペンスキーに生きていると言う。
まさに、今大会の活躍はその言葉の証左と言えるだろう。
また、村岡桃佳の凄さを物語るのが、滑降に続く金メダルを獲得したスーパー大回転でのことである。
なんと、レース中に片方のコンタクトレンズがずれるハプニングの中での戴冠だった。
高速で急斜面を滑走していくスーパー大回転において、片目の視力が著しく低下しながらトップタイムを叩き出すことなど、私には想像だにできない。
そんな状況下にあって、持ち味の正確なターンを遺憾なく発揮した。
まだレースが残っている。
平昌大会に続く出場全種目の表彰台への期待が高まる。
希望をくれた人-パラアスリートの背中を押したプロフェッショナル-
アルペン競技の凄さ
私は昨夏の東京大会で初めてパラリンピックを観戦し、その凄さに圧倒された。
選手によっては手足が無く、またある者は目が見えないにもかかわらず、健常者顔負けのパフォーマンスを見せていた。
冬季競技は夏季に比べ、スキー板やストック等の道具を使うことが多く、雪や氷の上など難しいコンディションで実施されるため、転倒や怪我のリスクが非常に高い。
それに加えて、通常ならば1年前にパラリンピック本番と同じコースを滑るプレ大会が開かれるが、今回は新型コロナウイルスの影響もあって開催されなかった。
つまり、ただでさえ身体的ハンディキャップがあるパラアスリートたちが、ぶっつけ本番で戦わなければならないのである。
特に、今大会のアルペンコースは、各選手が口を揃えて歴代屈指の難コースだと語っている。
コースを横から見るとまさしく崖といった感じであり、斜面変化も多く、コースの幅員も狭いとあってスピードが加速するほど圧迫感が強くなる。
村岡桃佳が金メダルを獲った滑降とスーパー大回転は高速系の種目に該当し、特に滑降は村岡の出場した座位のカテゴリーでも時速100㎞近いスピードが出る。
オリンピック選手でも転倒シーンは珍しくなく、大怪我を負うこともあり、ときには命に関わることすらある。
座って滑る座位は、1本のスキー板でバランスを取って滑らなければならない。
しかも、座りながらの滑走になるため視線が低くなり、通常よりも体感スピードが増していく。
また、健常者と同じように立って滑る立位のカテゴリーには、両足や半身の麻痺、片足欠損などの障害を抱えている選手が出場する。
そうしたハンディキャップを抱えながら、健常者と全く遜色ないスムーズな滑りを見せるのだから驚かされる。
そして、私が最も感動したのが、視覚障害のカテゴリーで滑るパラアスリートたちだ。
選手たちは目がほとんど見えないので、前を滑るガイド役のスキーヤーの指示に従い、難コースの雪面にシュプールを描いていく。
なぜ、あの急斜面を時速100km以上のスピードで滑走していけるのか…。
技術もさることながら、恐怖に打ち克つ心の強さに感心する。
今から20年以上前、ドリアン助川が先生役を務める「金髪先生」という番組があった。
そこで、ドリアン助川がパラリンピックのアルペン競技について熱く語っていたことを思い出す。
とりわけ絶賛していたのが、やはり視覚障害のレースだった。
この競技の素晴らしさを物語るのが、パラアスリートだけでなくガイドスキーヤーにもメダルが授与されることだ。
ふたりの息があってこその栄冠なので当然と言えばそれまでだが、見ていて気持ちの良い光景だった。
失ったものではなく、今あるものを活用して競技に臨む選手たち。
そんなパラアスリートから、我々が学ぶべきことは多い。