まもなく開幕する北京オリンピック・フィギュアスケート男子シングルで、優勝候補筆頭に挙げられるのは“史上最強の4回転ジャンパー”ネイサン・チェンであろう。
そして、ネイサン・チェンのコーチを務め、快進撃を支えているのがラファエル・アルトゥニアンである。
このラフエル・アルトゥニアンこそ、古き良きフィギュアスケートの伝統を継承し、現代のフィギュアスケート界の名伯楽と呼ぶにふさわしい。
ラファエル・アルトゥニアンとは
ラファエル・アルトゥニアンは1957年7月5日に生まれ、旧ソビエト連邦(現在のロシア)出身のフィギュアスケートコーチである。
一見すると、サントリー「BOSS」のCMに出てくるトミー・リー・ジョーンズのような風貌を思わせる。
現在は祖国を離れ、アメリカを拠点に活動している。
現役時代は特に目立った成績を残さなかったが、コーチに転身してから多くの名選手のコーチを務め、活躍するようになった。
例を挙げると、浅田真央、ミシェル・クワン、ジェフリー・バトルなどである。
そして、現在ネイサン・チェンのコーチとして、共に北京オリンピックを目指している。
これまでの練習拠点から遠く離れたイェール大学に進学したチェンの決断を、アルトゥニアンは快く承諾し、変わらぬ支援を約束した。
こんなところにも、ふたりの絆が窺える。
フィギュアスケート界の大御所としての地位を確立したアルトゥニアンだが、私は何よりもその人柄が好きなのだ。
ロシアの女子シングルを筆頭に、とかく技術点の向上だけを金科玉条とする現代のフィギュアスケート界にあって、ラファエル・アルトゥニアンが選手たちに向ける眼差しは温かい。
女子4回転ジャンプへの警鐘
私は、アルトゥニアンがネイサン・チェンのコーチであることに加え、彼が語る女子の4回転ジャンプにおける見解を目にし、このロシア人に注目するようになる。
女子の4回転ジャンプがここまでクローズアップされるようになったのは、アリーナ・ザギトワと同門で後輩にあたるアレクサンドラ・トゥルソワやアンナ・シェルバコワがシニアデビューを果たしてからである。
女子選手は体に丸みが帯びる前の方が、体重が軽いのでジャンプにおいては有利である。
また、成長期にかかり急に身長が伸びると重心やバランスが変わるため、ジャンプに苦労する。
15歳でシニアデビューしたトゥルソワやシェルバコワは少女のような細い体で、男子顔負けの高難度4回転ジャンプを次々に跳んでいった。
こうした新しい波がザギトワをも呑み込み、今やロシアの代表選手にすらノミネートされない事態になっている。
一見すると、フィギュアスケート界にとって進歩にも見える女子の4回転ジャンプだが、これに警鐘を鳴らすのが、ラファエル・アルトゥニアンなのである。
「私はかねてから、シニアの年齢制限を18歳に引き上げるべきだと提唱している。その理由の一つが、子どもの体は発育途上であり、骨や関節、成長板がまだしっかりと形成されていない体で4回転ジャンプを跳んでいるとダメージを招く。なぜならば、4回転ジャンプは体に大きな負荷がかかるため、骨や関節、軟骨を傷めるからだ。何を犠牲にしているのか知って欲しい。少女が4回転を跳んでその時は優勝しても、将来何が待っているのだろう。車椅子や人工関節の世話になって欲しくない。ISUは彼女らを守るべき。医者は低年齢で4回転を跳ぶ危険性を提言すべきだ」
とかく選手やコーチはより良い成績を残すため、人体の限界を超えたチャレンジに挑みがちである。
だが、世界のトップを目指す女子フィギュアスケーターのほとんどが、10代半ばの年端もいかぬ少女なのだ。
一瞬の栄光のために、人生の大部分に深刻な影響が残らぬよう導くのも、指導者の役割ではないか。
そんな思いが、ラファエル・アルトゥニアンの言葉から伝わってくる。
浅田真央への悔恨
ラファエル・アルトゥニアンには、今も決して忘れることのできぬ悔恨がある。
それは浅田真央とのエピソードだ。
浅田真央は10代の頃、アルトゥニアンに師事していたことがある。
その関係は、2008年の年明け早々に解消することとなった。
浅田は1月中旬までに、アルトゥニアンの待つ米国に赴く約束になっていた。
ところが、浅田は「そちらには行けないので、日本に来て欲しい。一切の費用は、私がもちます」と連絡を入れる。
だが、肝心の理由を聞いても一切答えないので、やむなくコーチを辞任したのだ。
その後、アルトゥニアンは理由を知ることとなる。
浅田真央の母親が重い病に罹患していたのだ。
だから、どうしても日本を離れることができなかったのである。
アルトゥニアンはその事実に、悔やんでも悔やみきれなかった。
理由さえ分かれば、間違いなく日本に向かっていたからだ。
そんな経緯があるにもかかわらず、浅田真央は試合会場でアルトゥニアンを見かけるたび「あなたが、私のためにしてくれたことを忘れません」と感謝の言葉を述べたという。
だからこそ、アルトゥニアンは今もなお「僕は浅田真央を心から愛している」と語るのだろう。
当時の浅田の状況からして、母親の病気を公に出来なかったことは責められない。
そのことを理解できるからこそ、アルトゥニアンは「自分のミスだった」と後悔しているのだ。
しかし、コーチの立場としては選手が理由も語らず約束をたがえるなど、容認できるはずもない。
つまり、どちらが良いとか悪いとかの問題ではなく、不運な出来事としか言いようがないのである。
引退が決まった浅田真央へ、アルトゥニアンは惜別の言葉を送る。
「ずばぬけて高い技術を備えていた。1日中、朝から晩まで休むことなく練習していた。あれほどまでに、熱心にスケートに取り組む選手を私は知らない」
そして、トリプルアクセルにこだわり続けた姿を「信念を貫いたのは正しい。他のスケーターを勇気づけた」と心から称賛した。
ラファエル・アルトゥニアンと浅田真央。
ふたりの物語に、切なさを覚えるのは私だけだろうか。
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あたたかき心
2019年のグランプリシリーズ・フランス大会。
宇野昌磨は独り、苦しんでいた。
そのシーズン、宇野はあえてコーチを付けずに試合に臨むことを決意するも、プログラムが崩壊し8位に沈む。
これまで経験したこともないような無残な演技に、滂沱の涙を流す宇野昌磨。
その様子に、見ているこちらまで胸が締め付けられる。
そのとき、キスアンドクライで孤独と屈辱に耐える宇野昌磨のもとへと近づく人物がいた。
ラファエル・アルトゥニアンである。
演技終了後、リンクに投げ込まれたファンからの贈り物を届けに来たのだ。
そして、宇野の健闘を讃えるべく拍手を送りながら、無言で去って行く。
その光景は、悲嘆に暮れる宇野昌磨の姿に心を痛めたファン、そして宇野自身にとっても一条の光のように救いとなったのではないか。
かくいう私も、アルトゥニアンの心のあたたかさに深い感銘を受けた。
ラファエル・アルトゥニアンこそ、「心温かきは万能なり」を体現する名コーチと呼べるだろう。
まとめ
今だけでなく、選手の将来をも見つめるラファエル・アルトゥニアン。
そんな彼を見ていると、野球の野村克也監督の言葉を思い出す。
「野球選手は子どもの頃から野球しかしてこなかったので、野球のことしか分からない専門バカがほとんどである。だが、それではダメだ。なぜならば、野球選手として活躍する期間よりも、その後の人生の方が遥かに長いからである。だからこそ、社会人としての知識・教養を身に付けなければならない」
野村は選手に野球だけでなく、ミーティングをはじめ事あるごとに上記の言葉を説いていた。
つまり、人間教育も施していたのである。
私は違う意味で、ラファエル・アルトゥニアンにもそれを感じる。
フィギュアスケーター、とりわけ女子シングルでは選手寿命が驚くほど短い。
10代の短期間に栄光に浴しても、その後の人生の方が当然ながら何倍も長い。
引退後の人生を幸多きものにするためには、健康が何よりも不可欠である。
選手の将来を見つめているからこそ、アルトゥニアンは現在のフィギュア界のあり方に警鐘を鳴らすのである。
真の指導者は、技術を教えるだけでなく、選手の未来や人生にも思いを馳せる教育者としての側面も持ち合わせているのではないか。
「フィギュアスケート界の名伯楽」ラファエル・アルトゥニアン。
いぶし銀の如き佇まいに、指導者のあるべき姿を思わずにはいられない。