新春の風物詩「箱根駅伝」~襷(たすき)で繋ぐそれぞれの思い~





毎年、正月2日から3日にかけて熱き戦いが繰り広げられ、その模様をテレビ中継されるのが箱根駅伝である。

それは、多様化する日本人の趣味嗜好にあって、現在でもお茶の間で家族が釘付けになって視聴する、新春の風物詩といえるだろう。

今年も、箱根路に青春をかけた選手たちの走りが人々の胸を打った。


Number(ナンバー)1017号「箱根駅伝 ベストチームを探せ! 」

選手の力走 

今年は一念発起し、私は朝から箱根駅伝を観戦するため、テレビの前にかじりつく(とはいえ、往路は寝坊し2区終盤からの参戦となってしまったが…)。

久しぶりに見る若者たちの走りに、思わず感銘を受けてしまう。
苦悶の表情を浮かべながら、ゴールに倒れ込み襷(たすき)を繋いでいく選手たち。
彼らは1ミリたりとも余力を残さず、全てを出し尽くしている。
その1秒を削り出すため、汗と思いが染み込んだ襷を必死に繋ぐ姿に、我々は引き込まれていくのだろう。

今ではとかく敬遠されがちな根性論だが、彼らを見ていると最後は精神の力抜きには語れない。
スポーツ科学や机上の理論を超越した、人と人との絆と心の強さに感動する。

箱根路の魅力と厳しさ

箱根駅伝が人々を惹きつけて止まない魅力とは何なのだろう。
もちろん、前述した選手たちのひたむきさは、言わずもがなである。
それに加え、年明け新春という開催時期もあるだろう。
そして、古くから“天下の険”と呼ばれた箱根路が舞台に選ばれていることも、欠かせない要素である。

5区の山登り、6区の山下りは平坦なコースでは味わうことのできない、スリリングな展開が待っている。
この2つのコースは適性の有無が如実に表れることもあり、大きくレースが動いていく。
ゆえに、“山の神”という秀逸なフレーズがいつしか定着し、我々の心を掴むのだ。
また、6区山下りは復路のスタートコースとなるため、まだ気温が低く路面が凍結している中、急勾配を駆け下りていく。
当然、転倒のリスクも抱えながらの走行であり、箱根路の厳しさを物語る。

そして、箱根駅伝は優勝争いもさることながら、10位入賞を目指す熾烈なシード権争いが見どころとなる。
毎年のように、僅かなタイム差の中に何校もがひしめき合い、デッドヒートを繰り広げる。
シード権を獲得できれば、来年は予選会を経ることなく本番で戦えるからだ。
今年は、最終10区の残り1㎞付近で法政大学が逆転し、かわされた東海大学が涙を呑むこととなった。

これらの厳しき戦いを観て痛感させられるのは、何といっても襷の重みである。
箱根駅伝において最も残酷なシーンは、襷を次のランナーに繋げることが叶わない繰り上げスタートといえるだろう。
今回も、日本体育大学と山梨学院大学の2校が繰り上げスタートとなる。
まさに、光と影が交差する象徴的な情景が映しだされた。
あと少しのところでその憂き目に遭った選手を見ると、“その1秒を削り出せ”という言葉の重みが骨の髄まで身に沁みる。

だが一方で、襷の重みがあればこそ、一度抜かれても再び追いつき追い越すという、魂の走りが可能となるのである。

青山学院大学の総合力 

今年の総合優勝を飾ったのは、青山学院大学である。
往路・復路とも制覇する完全優勝で幕を下ろした。

往路では区間賞が無かったにもかかわらず優勝する様は、選手一人ひとりに穴がない総合力の高さを物語る。
一転、復路では3つの区間で区間賞をマークし、復路新記録のみならず大会総合記録まで更新するなど、記録ずくめの圧巻の勝利を果たした。
戦前、原監督が青学史上最強チームと語っていたことも納得である。

来年は、手に汗握る優勝争いを演じるべく、他校にも捲土重来を期待したい。

陰で支える人たちの存在

箱根駅伝の主役は、間違いなく選手たちである。
だが、その舞台に立つためには監督・コーチの支えのみならず、家族の応援も怪我や不調に陥ったとき、どれほど力になることか。
決して、ひとりの力で栄光の舞台を疾走しているわけではない。

私は今回、なぜか白バイで先導する警察官に目が行った。
箱根駅伝だけでなく、その他の駅伝やマラソンでも白バイの誘導は付き物である。
実は、何気なく走っているように見えるが、とても過酷な任務なのだ。

選手の様子をバックミラーで確認しながら、常に20m前後の間隔を保つ。
もちろん、前方との距離も気にしなければならない。
また、沿道で応援する観客にも目を配り、ときにはマイクで注意を促す。
常時、四方八方に神経を研ぎ澄まさなければならないのである。

当然、大舞台を支える役目を担うため、プレッシャーも半端でない。
その過酷な任務の中、両手が塞がっているので鼻が痒くなっても掻けず、鼻水が出てもかむこともできない。
そして、駅伝が始まるとトイレにも行けないので、前日から水分の摂取を減らし、当日の朝は水分を取らずに本番に備える。

だが、この任務には多くの希望者が募り、白バイのスペシャリストたるエリート中のエリートしか選ばれないという。
ある意味、白バイ隊員たちの最高の栄誉ともいえる舞台なのだ。

つい見逃しがちなところにも、箱根駅伝に携わる人々の思いが息づいている。

まとめ

箱根路に臨みし者の理。
それは、快走を演じ栄光に輝く者もいれば、失速し恥辱に塗れる者もいるということだ。
その舞台は悲劇と喜劇が交差する、まさに人生の縮図といえるだろう。

だが、若者たちの人生は始まったばかりである。
喜びや無念が、今後の人生の糧となることを願わずにいられない。

また、陸上を続ける者、箱根を最後に競技から去る者、卒業後の進路も様々である。
そんなところも、箱根駅伝のコースと同じく山あり谷ありの人生模様を感じさせる。

変わりゆく時代にあって、箱根路には決して変わらないものがある。
箱根路に懸けるランナーたちの熱き思い、それは人の世があり続ける限り、次世代に継承されていくに違いない。

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