50歳の新人、先生になる 第25回「禁句」





本稿は50歳にして、これまで未経験の塾講師を志したアラフィフの体験談です。

講師として子ども達と関わる中で、気付いたことや所感を述べていこうと思います。

今回は、受験生へ掛けるのに要注意の言葉について述べていきます。

言葉がけの難しさ

以前「受験のプレッシャー」というタイトルで、入試への恐怖を抱く受験生に掛ける言葉を紹介しました。

受験への重圧は否が応でものしかかります。
そんなとき、マイク・タイソンを育てたカス・ダマト直伝の箴言を引用し、何人かの受験生に送りました(詳しくはこちら)。
さすがにダマトのようにはいきませんが、まずまずといった感触です。

ですが、不用意な発言で余計なプレッシャーをかけてしまう愚も犯してしまいました。
それはどうやら私だけではないようで、教育の現場に立つ教員にも散見されるようなのです。

禁句

ここからは具体的なエピソードを紹介します。

その子は私立高校の推薦入試を目指している受験生でした。
偏差値だけでなく、内申点も十分足りてます。
そんなこともあり、親や教師など、ほとんどの大人に「君なら問題ない。大丈夫だ」と言われていました。

私も彼との雑談の中で、何気なく同じような言葉を発しました。
その瞬間、悲痛な叫びでこう言われたのです。

「先生止めてください。先生達もみんな、そう言うんですよ」

私は直ぐに理解しました。
禁句に触れてしまったのだと。

彼は非常に頑張り屋で、真剣に受験勉強に取り組んでいます。
とはいえ、志望校はかなりのレベルであり、油断できないのは言うまでもありません。
そんな中、“受かって当たり前”という空気を醸成されるのは、本人からすれば精神的に苦しいに違いありません。

昭和の終わりから平成の初めのプロ野球界は、西武ライオンズが覇権を握っていました。
巨人のV9時代を知らぬ私はこれまでの半世紀以上の人生で、西武より隙が無く完成されたチームを見たことがありません。
なので、いつも勝って当たり前と言われます。
ある日本シリーズの直前に,当時の監督・森祇晶は嘆きました。

「勝って当たり前と言われる戦いほど、難しいものはない」」

相手は格下とはいえ、セリーグのペナントレースを勝ち抜いた強者です。
ましてや短期決戦となれば、ひとつ歯車が狂うだけで、あっという間に勝敗が決してしまいます。

このことは、受験生にも当てはまるのではないでしょうか。
いくら勝算が高くても、勝負は時の運なのです。
自分の偏差値より10も20も低い滑り止めならいざ知らず、当日のコンデイションや問題との相性如何ではどう転ぶか分かりません。
にもかかわらず、大人たちが簡単に「大丈夫」などと言うことは、あまりにも無責任に感じます。
とりわけ、ただでさえナーバスになりがちな受験生からしたら、たまったものではないでょう。
なにしろ、やり直しがきかない一発勝負なのですから。

もちろん相手と状況によっては、「大丈夫」といった前向きな言葉に勇気をもらえることもあるでしょう。
ですが、どうか皆さん、自分に置き換えてみてください。
彼と同じ立場で周囲の大人達から次々と、それもお気軽に「問題なく受かるよ」などと言われたら…。

ほとんどの人はネガティブな発言には注意するでしょう。
ですが、悪気なく言った一見肯定的に聞こえる言葉でも、ときに受験生を苦しめることがあるのです。

虚心坦懐に打ち明けてくれた彼には心から感謝します。
当事者しか分からない胸の内を教えてくれたのですから。

またひとつ、貴重な経験をさせてもらえました。

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