4回転の貴公子
ネイサン・チェンは中国系アメリカ人であり、1999年5月5日に生まれる。
最大の特徴は、何といってもジャンプにある。
アクセル以外の5種類の4回転ジャンプを跳ぶことから“4回転の貴公子”または“史上最強の4回転ジャンパー”などの異名を持つ。
しかも、単に跳べるだけでなく、非常に美しい加点の付くジャンプなのだ。
以前はトリプルアクセルを苦手にしていたが、今ではGEOでプラス3以上の評価を受けるなど、弛まぬ努力で進化を続けている。
また、技術点だけでなく、演技の表現力や芸術性を評価する演技構成点でも羽生結弦と遜色のない高得点をマークする。
幼い頃からバレエや体操に触れ、そこで培われた体幹の強さ、美しい身のこなしなどを習得したこともチェンの滑りにアドバンテージをもたらしている。
そのうえ、ネメシスやキャラバンといったアップテンポな曲のリズムを捉えることが、抜群に上手いと称賛されていた。
ところが、2021年の世界選手権では、それらとは全く異なる静謐な旋律の「フィリップ・グラス・セレクション」をフリーで用い、またもや素晴らしい演技でファンを魅了した。
つまり、チェンのリズム感に裏打ちされた曲を解釈する能力は、曲調に影響を受けることなく発揮されるのだ。
そして、スピンやスケーティングの技術など全ての要素において、全く死角のない滑りを見せている。
オリンピックでの挫折
ネイサン・チェンは現在の男子フィギュア界において突出している。
今シーズンの競技結果だけでなく、グランプリファイナルと世界選手権を3連覇中であり、向かうところ敵なしの様相を呈している。
来年開催予定の北京オリンピックにおいて、男子フィギュアスケートでは最も金メダルに近い存在といえるだろう。
実は、そのチェン。
2017-2018シーズン以降、唯一敗れたのが2018年2月に開催された平昌オリンピックなのである。
18歳で迎える初のオリンピックでは、グランプリファイナルを初優勝するなどシーズンを無敗で終えたこともあり、一躍優勝候補に挙げられる。
さらに、大本命の羽生結弦が怪我による長期欠場を余儀なくされていたこともあり、アメリカ国民の期待を一身に背負うこととなった。
あまりの重圧に耐えきれず、ショートでは全てのジャンプでミスを犯すなどプログラムが崩壊し、17位と大きく出遅れメダルが絶望となってしまう。
だが、ここで終わらないのがネイサン・チェンなのである。
翌日に行われたフリーでは、前日とは別人のような演技を見せる。
全8本のジャンプのうち6本を4回転ジャンプで構成するという、史上最高難度のプログラムで挑む若きネイサン・チェン。
演技が始まると、4回転フリップのみリンクに手をついた以外は、5本の4回転ジャンプを含む残り7本のジャンプを成功させたのである。
5本の4回転ジャンプを決めたのは、オリンピック史上初となる快挙であった。
しかも、8本全てのジャンプの要素点が10点を超えるという驚異のレコードを残して…。
結局、フリーの演技では金メダルの羽生に約9点もの差をつけ、総合順位でも5位に巻き返し、最後に意地を見せる。
私は、この18歳の若者に深い感銘を受けずにはいられなかった。
優勝どころか表彰台も絶望的になった現実を前にして、モチベーションが上がらなくなるのが普通だろう。
そのうえ、チェンはまだ年端もいかぬ18歳なのだ。
打ちひしがれ、困難に喘いだ状況で見せた起死回生の演技。
もし、チェンがメダルだけに執着していたならば、とてもあの滑りを披露するのは不可能だったのではないか。
結果の如何を問わず、最後まで最善を尽くす姿こそ、人として尊敬に値する。
あの瞬間、私の心は決まった。
人種や国籍の壁を超越し、“史上最強の4回転ジャンパー”ネイサン・チェンを応援するのだと。
挫折を乗り越え
平昌オリンピックでの経験は、ネイサン・チェンを一回りも二回りも大きくした。
後日、チェンは語る。
「オリンピックのショートプログラムでの経験は、永久に忘れることはないでしょう。ですが、あの経験があればこそ、様々なことを学ぶことができました。きっと、永遠に僕の力になっていくと信じています」
それを我々が目の当たりにするのは、2019年の世界選手権のことである。
ショートを首位で発進したチェンは、勝負のフリーに臨むべく集中力を高めていた。
ところが、直前の羽生結弦の演技に、さいたまスーパーアリーナのファンは熱狂し、羽生の代名詞ともいえるプーさん人形が大量に投げ込まれる。
人形を回収するための永劫にも感じる時間の中、独りチェンは興奮のるつぼと化した異様な雰囲気に身を置いていた。
フィギュアスケートは多くの場合、前の選手が素晴らしい滑りをすると、後の選手はプレッシャーと会場の熱気に呑まれてしまい、力を発揮できずに終わる。
だが、ネイサン・チェンは羽生結弦を向こうに回し、完全アウェイの空気感の中で完璧な演技を決めた。
あの時のネイサン・チェンの心の強さには、ただひたすら感服した。
事実、羽生も競技後に「あそこまで、精神的にタフだとは思わなかった」と脱帽する。
1年前、オリンピックのリンクで重圧に押し潰され、内なる自分に敗れた青年が、ここまで成長した姿を見せてくれたのだ。
金メダルを得たことよりも、心の弱さを克服し、見事に己を律し切った姿こそ、何よりも称賛に値する。
その時のことをネイサン・チェンは述懐する。
「まず、日本で結弦と一緒に戦える喜びを噛みしめていました。彼が会場を盛り上げ、観客も熱狂してプーさん人形を投げ込む光景を見て、日本のファンのスケートへの情熱に驚かされました。そして、私が中央で滑れるように、プーさん人形は片側のみに投げ込まれていたのです。私たちを気にかけてくれている証拠です。何よりも、私の演技中にも大歓声で応援してくれたことに心から感謝します」
真剣勝負の大舞台、それもあの雰囲気の中、弱冠19歳の若人がこれほどまでの謙虚さと感謝の心を持てることに驚きを禁じ得ない。
まとめ
様々な経験を重ね、今や敗れざる者として頂に君臨する「史上最強の4回転ジャンパー」ネイサン・チェン。
そんな彼は、大学生としての顔も併せ持つ。
オリンピック直後の2018年から名門イェール大学に通い、多忙な日々を過ごしている。
まさに、文部両道を地で行くとはこのことだろう。
しかし、イェール大学は東海岸のコネチカット州にあるため、これまで練習拠点にしていた西海岸のカルフォルニアの地から引っ越しを余儀なくされた。
大きな決断であったが、ラファエル・アルトゥニアンコーチの後押しもあり、学業と両立して競技生活を送っているのだ。
とはいえ、学校がある時は自分一人で練習するしかなく、まとまった時間が取れた時にアルトゥニアンコーチに師事している。
今シーズンの羽生は、新型コロナの影響でコーチのもとで練習できない苦しみを味わっていた。
4回転アクセルの過酷な練習に加え、こうした事情も演技の不安定さにつながっていたのではないか。
しかし、チェンは平昌オリンピック以降の2018年シーズンから、ずっと独りコーチから離れて世界の檜舞台で戦ってきたのだ。
コーチと離れながらも独り研鑽を積み、快進撃を続ける努力には頭が下がると共に、その偉大さを痛感する。
今の時代、新型コロナの影響もあり、先が見通せない不透明な世の中である。
だが、ネイサン・チェンと羽生結弦という歴史に残るライバルの結末を、北京オリンピックの夢舞台で見届けたいと願うのは私だけではないはずだ。
偉大なる真のフィギュアスケーター、ネイサン・チェンと羽生結弦に幸あらんことを。