本稿は50歳にして、これまで未経験の塾講師を志したアラフィフの体験談です。
講師として子ども達と関わる中で、気付いたことや所感を述べていこうと思います。
前回に引き続き“未知なるもの”について触れていきます。
「税金で買った本」の一節
もうひとつ“未知なるもの”に関して紹介したいエピソードが、漫画「税金で買った本」に登場する『タイの地獄寺』という本にまつわる話です。
それは、好きな本の魅力を紹介するビブリオバトルの一コマでした。
そこに登場する柴さんは歴史小説をはじめ本を読むことが好きな女子高生ですが、人から変だと思われるのが嫌で同じカテゴリーに属する人としか趣味の話をしたがりません。
ですが、友人が堂々と自分の好きなことを発表する姿を見てふっ切れます。
「変だと思われるのは怖い…でも精一杯、そして面白く話さなきゃ、私の好きな本に失礼だよね。変は強さだ!」
覚悟が決まった彼女は冒頭、関ヶ原の戦いをモチーフにした“関ヶ原ウォーランド”の思い出から話し始めました。
そこにはコンクリートにペンキで塗った武士達の像が飾られているのですが、中には生々しい生首も置いてあり、その恐ろしさに思わず息を呑むほどです。
そして、本題の『タイの地獄寺』に話柄を移します。
その寺院も関ヶ原ウォーランド同様ただの観光地や娯楽施設ではなく、宗教的かつ教養を育む場所でした。
俄然、熱を帯びてきた柴さんはイキイキと続けます。
「グロテスクで極彩色!等身大に造られたコンクリート像は地獄の責め苦を想起させ、私は関ヶ原ウォーランドを思い出しました。悪いことをすればこうなるという仏教の教えを伝える施設であり、コインを入れると動く人形もあるテーマパークでもある…地獄寺っていったい何なの!?」
最後に、柴さんは思いの丈をぶつけます。
「人はよくわからないモノを見たときにカテゴリーに当てはめて理解したくなりますよね。私も関ヶ原ウォーランドみたいなものだと思い、この本を手に取りました。
でも違うんだなって!はっきりとカテゴリーに当てはまらないモノやヒトがあって、それを知るのは時間がかかって大変で傷つくこともある…でも凄く楽しいことだと思います!ぜひこの本を読んで“地獄”に行って欲しいです!」
柴さんは誰よりも輝く瞳で発表を終えました。
成田悠輔と地獄寺の2つのエピソードは、伝えたい要点は同じだと感じました。
それは、我々がこれまで築いてきたカテゴリーには当てはまらない“未知なるもの”の存在です。
人間はすぐに己の経験則に当てはめて、理解したがる生き物です。
ですが、虚心坦懐にありのままを見つめれば、新たなる邂逅としか言い表せないことがあるはずです。
この“未知なるもの”は今までの常識や概念では説明することができません。
なので、かつて通った舗装済みの道路ではなく、新しい道を切り拓かなければなりません。
それは時間と労力もかかるうえ、なかなか他人から理解されず傷つくこともあるでしょう。
なにしろ人は“未知なるもの”を恐れ、忌み嫌う性質を内包する生き物です。
しかしながら柴さんも言うように、それは何ものにも代え難く、とても楽しいものだと思うのです。
我々大人と違い、子ども達の目はなぜ輝いているのでしょうか。
それは日々好奇心という翼を広げ、“未知なるもの”との出会いを繰り返しているからです。
人は好奇心を失ったとき、本当の意味で老いていくような気がします。
いろいろ苦労はありますが、それでも私が塾講師の仕事が楽しいと感じるのは、子どもという“未知なるもの”と接しているからです。
そう考えると、教師も塾講師も教えているのではなく、教わっているのだと気付かされます。