50歳の新人、先生になる 第20回「未知なるもの」Part1





これは50歳にして、これまで未経験の塾講師を志したアラフィフの体験談です。

講師として子ども達と関わる中で、気付いたことや所感を述べていこうと思います。

当記事が塾講師として奮闘している方や、学習塾に興味のある方の一助になれば幸いです。

未知なるもの

私のようなアラフィフ中年にとって、小中学生は未知なるものの代表格といえるでしょう。
なにしろウン十年前に通り過ぎた季節に加え、時代も変わり価値観も変容しているのですから。

この“未知なるもの”で思い出すものがあります。
それは成田悠輔の動画と漫画「税金で買った本」の一節です。

それぞれについて紹介していきます。

成田悠輔の動画

まずは、YouTube動画にアップされていた成田悠輔の本の解説から見ていきましょう。

その本とは柄谷行人著「力と交換様式」です。
柄谷行人は哲学のノーベル賞といわれる「バーグルエン賞」をアジア人として初めて受賞した哲学者です。
私も手に取り冒頭の数ページだけ読みましたが、出てくる言葉があまりに難解かつ抽象的なため、全く頭に入ってきません。

アシスタントのアナウンサーも私と同様に難しく感じたようで、お手上げ状態といった様子でした。
そんな彼女に、成田悠輔は難読本のエッセンスについて語ります。

「難解だと言われているものは、そこに含められている情報が複雑だとか、論理が込み入っているというだけではないと思う。むしろ、そこに書かれている文字の世界をそのまま美術館を歩くように、あるいは街の中を歩くかのようにデザインされている。そして、その体験が総合的なものなので簡単にそれを人に伝えるとか紹介するのが難しいため、難解なのではないか」

そして、前述の「力と交換様式」に絡めて続けます。

「なぜ難しく見える言葉を使うかというと、言葉の世界にしか存在しないものに名前を付けるからではないか。そもそもタイトルにある“交換様式”からして分からない。かねてから気になっているのは、難しく感じる言葉はなぜ難しいと感じるのか…」

そして、結論を述べました。

「(逆に考えると)簡単な言葉というのは、たぶん現実世界とか生活の中で対応しているものがある言葉だと思う。例えば“本”という言葉は難しく感じない。それは身近に存在し、実際に触れることができるからではないか。“カメラ”“カレー”“親”といった類の言葉も同様で、生活の中の局面ではっきりしている。

しかし、言葉の中には生活の中に直接対応するものがない言葉がある。それを我々は難しい言葉と呼んでいるのだと思う。そういうものを作り出す力が言葉にはあるのではないか。自分たちが生活する中では出会わないようなお化けやジブリ映画に登場する“まっくろくろすけ”的な存在がいて、その片鱗を感じたり見たりする瞬間がある種の人々にはあるのだと思う。

世界を動かしているまだ名前の付いていない何かの力や存在を感じたり出会ったりしたいという欲望が人間にはあり、その存在を掴むために新しい言葉を作り出し、言葉の世界に起ち上げるのだと思う。もちろん瞑想や神秘体験などの手段もあるだろうが、そのひとつとして言葉を通じて新しい世界や概念を作り出す方法があり、そうすると“交換様式”という言葉が出てくるのではないか」

私はこの成田悠輔の言葉の中で、2点ほど注目しました。
1点目は「難読本はそこに書かれている文字の世界をそのまま美術館を歩くように、あるいは街の中を歩くかのようにデザインされている」というフレーズです。
これは子どもと接するときと似ているのでは?と感じました。。
どうしても我々大人は子ども目線ではなく、大人の価値観で物事を見てしまいます。
ですが、美術館や街並みを先入観をもたず、そのまま・ありのまま歩くように、子どもたちと関わればよいのではないかと思った次第です。

2点目は実生活では出会わない存在について言及している点です。
これは敢えて言うならば「未知なるもの」と呼んでいいでしょう。
成田悠輔が言うように日常生活に存在しないものは馴染みがないので、理解するのが難しく感じます。

そして、最初の方で述べた私にとっての“未知なるもの”小中学生。
もちろん、彼ら彼女らのことは普通に街中でも目にします。
ですが、ほとんど関わりがなかったため、よく分からないというのが実情です。
目には入ってくるが、自分の日常生活には存在しないという点では、難読本に出てくる見慣れないフレーズと類似しているのではないでしょうか。                             

                    ※part2に続く

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